第2次世界大戦後の独立と多店化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:50 UTC 版)
「阪急百貨店」の記事における「第2次世界大戦後の独立と多店化」の解説
1945年8月28日に解散した京阪デパートの建物を買収して1946年に同店跡に食堂付きの天満橋マーケットを開業し、1947年3月7日に株式会社阪急百貨店を設立して4月1日から新会社で営業を開始して阪急電鉄から独立し、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した。 1953年11月23日に東京大井店を開業して東京へ進出し、1956年5月29日にマツダビルディングに数寄屋橋阪急を開業して銀座の一角へ進出してなど東京と近畿の双方に店舗を構える百貨店チェーンに成長した。 1957年6月12日と1961年4月25日と1969年11月23日に相次いで阪急梅田ビルの増築工事が相次いで竣工してうめだ本店の増床を行い、本店の営業力の拡大・強化も図っていった。 京阪電気鉄道の淀屋橋駅までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まったため1961年に天満橋支店を閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還したが、1970年3月11日に大阪の千里ニュータウンに千里阪急、1976年10月15日に京都市の四条河原町交差点角に四条河原町阪急(阪急京都本線京都河原町駅直結)、1982年10月8日にうめだ本店の別館として阪急イングスを相次いで開業させて近畿の店舗網の強化・拡大を進めた。 その後も1984年10月6日に東京の有楽町マリオンに有楽町阪急、1989年4月4日に兵庫県川西市に川西阪急、1992年10月1日に神戸ハーバーランドに神戸阪急、1993年4月15日に宝塚阪急と相次いで出店し、近畿と東京の2地区で店舗網を拡充していった。
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