第2次世界大戦前の国際連絡運輸の沿革
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「連絡運輸」の記事における「第2次世界大戦前の国際連絡運輸の沿革」の解説
1910年(明治43年)4月 日本からロシアの東清鉄道への連絡運輸を開始。新橋、平沼(当時の横浜駅の代替駅)、大阪などの各駅から、まず列車で敦賀駅へ行き、そしてその近くの敦賀港から船舶でウラジオストクへ、そしてそこからハバロフスク・ハルビンなどへ行くものと、神戸・門司の駅へ行き、船舶で中国の大連へ、そしてハルビン・チチハルなどへ向かうものとの、二つのルートでの連絡乗車券が販売された。 1911年(明治44年)3月 シベリア鉄道を使用してモスクワ・サンクトペテルブルクなど、ロシア中心部への乗車券も販売開始。 1913年(大正2年)6月 ヨーロッパのアムステルダム・パリなど各地への乗車券の販売を開始。 1913年(大正2年)10月 朝鮮総督府鉄道・南満州鉄道経由で中国の北京・天津などへの連絡乗車券を販売開始。 1914年(大正3年) - 1917年(大正6年)頃 第一次世界大戦・ロシア革命などの影響によって、欧州への連絡乗車券販売を中断。その後ソ連の成立した後も、シベリア出兵などがあり再開はしばらくされなかった。 1927年(昭和2年)8月 欧州への連絡乗車券販売を再開。日本発着の旅客手荷物国際連絡運輸が開始される。 1941年(昭和16年)6月 独ソ戦の勃発によって、シベリア鉄道の一般旅客列車の運行が停止されたことに伴い、欧州への連絡乗車券販売を中止。 1945年(昭和20年)8月 終戦によって、朝鮮・中国への連絡乗車券発売を停止。
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