第2次世界大戦による被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/24 15:31 UTC 版)
「ブレーメン美術館」の記事における「第2次世界大戦による被害」の解説
美術館は、第2次世界大戦の勃発後間もなく閉鎖され、コレクションは地下室に運ばれた。1942年9月5日の夜、空襲で中央階段と2階の6室が破壊された。この時、大きさの都合上運ぶことができなかったエマヌエル・ロイツェの『デラウェア川を渡るワシントン』が焼失した。今日、同作品の第2バージョンがニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されている。 この被害があってから、コレクションの大半は、ブレーメン州立銀行と北ドイツ信用銀行の地下の防護エリアに運び込まれた。空襲の激化に伴い、市長は、コレクションを市外の安全な場所に保管することを決定した。1943年から搬出作業が行われ、絵画、素描、版画は、KyritzのKarnzow城、SalzwedelのNeumühle城、ハーメルンのSchwöbber城の3か所に分散され、彫刻はビュッケブルク城に運ばれた。 Karnzow城は、ベルリンに近いブランデンブルク辺境伯領にあり、絵画50点、素描1715点、版画3000点を保管した。この城は1945年5月、ソ連軍によって接収され、その撤収時に略奪された。また、ソ連軍は保管場所を開放したまま立ち去ったため、一般人が立ち入ることができる状態となってしまった。ベルリン市評議会長Kurt Reuttiは、懸命の捜索とブラック・マーケットからの買戻しによって、何点かを取り戻すことに成功した。それでも、ブレーメン美術館の損失は、プロイセン文化遺産基金とドレスデン美術コレクションの損失と並んで、ドイツの美術館の戦時被害の中で最大級のものであった。ブレーメン美術館収蔵作品のうち1500点以上が現在でも行方不明である。
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