第2次上田監督時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:25 UTC 版)
「オリックス・バファローズ」の記事における「第2次上田監督時代」の解説
1981年 エースの山田久志が13勝12敗で貯金を作れず、前期3位、後期2位の通年2位。 1982年 前期は2位で、この年山田が16勝するなど復調したが、後期は主軸打者が不振で5位となり、通年でも4位に終わった。 1983年 広島の水谷実雄が加藤英司とのトレードで入り、水谷は4番で36本塁打、114打点で打点王になり、トリプルスリーを達成した簑田浩二や、ブーマー・ウェルズらと強力なクリーンアップを形成するものの、チームは首位の西武と17ゲーム差の2位に終わる。 1984年 開幕から3連勝し、5月から6月にかけて球団記録の13連勝で独走態勢に入り、9月23日の対近鉄戦(藤井寺)で6年ぶりにリーグ優勝達成。ブーマー・ウェルズが外国人選手初の三冠王を獲得も、広島との日本シリーズではブーマーが徹底的にマークされ、3勝4敗で敗退。この年が阪急最後の優勝となった。 1985年 勝ち越すものの首位の西武と15.5ゲーム差、3位の近鉄とゲーム差無しの1厘差で4位に終わる。 1986年 6月4日に近鉄と首位が入れ替わると、そのまま後退し、3位に終わる。佐藤義則の故障などで先発陣が不足するなど、監督の上田は「選手層が薄いと実感した」とコメントした1年となった。 1987年 首位の西武と9ゲーム差の2位となるが、かつての先発3本柱の山田久志が7勝、佐藤義則が7勝、今井雄太郎が4勝に終わる。 1988年 開幕10試合で1勝9敗で、シーズン通して3位以上とならないまま、監督の上田として初の負け越しで4位となる。阪急電鉄の創立記念日で尚且つ10.19で知られる試合が行われた10月19日、球団がオリエント・リースに買収されることが発表され、この年が阪急ブレーブス最終年となった。オフには、山田久志と福本豊が現役引退。また、この年同じくダイエーへ球団買収となった南海の門田博光が、ダイエー球団の本拠地の福岡へ行くことを拒み、オリックスに移籍。
※この「第2次上田監督時代」の解説は、「オリックス・バファローズ」の解説の一部です。
「第2次上田監督時代」を含む「オリックス・バファローズ」の記事については、「オリックス・バファローズ」の概要を参照ください。
- 第2次上田監督時代のページへのリンク