第2次モスクワ裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:21 UTC 版)
大粛清の国際的な正当化を図るため、外国ジャーナリストを招いた「公開裁判」を行うことも忘れなかった。ゲオルギー・ピャタコフ(重工業人民委員第一代理)、カール・ラデック(元コミンテルン執行委員)、グリゴリー・ソコリニコフ(元財務人民委員/駐英全権代表)、ニコライ・ムラロフ(ゴスプラン幹部会員)ら大物被告は、1937年1月の第2次モスクワ裁判にかけて、「併行本部陰謀事件」の首謀者として死刑判決を与えた上で銃殺刑に処した。ラデック、ソコリニコフは懲役10年。ただし両者とも翌1938年獄中で不審な死を遂げている。この第2次モスクワ裁判は、大テロルの一つの頂点ともされる。 さらに1937年2月の中央委員会総会中には、ブハーリン(元コミンテルン議長・元党政治局員)、ルイコフ(前首相・元党政治局員)、ヤゴーダ(前任の内務人民委員)らを「右翼トロツキスト陰謀事件」を企んだとして逮捕し、翌1938年の第3次モスクワ裁判において死刑にした。 粛清は、単に反スターリン的な人物だけに留まらず、スターリンに忠実だった者たちへも及び、パーヴェル・ポスティシェフ、スタニスラフ・コシオール、ヤン・ルズタークのような1920年代にスターリンの粛清や集団化を支持した共産党幹部たちも次々と粛清されていった。
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