第2次世界大戦と復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:49 UTC 版)
昭和18年、政府は軍需産業の強化のため企業整備策を決定した。出版社はとくに用紙統制の名のもとに3400社を200社程度に統廃合するべく出版事業令が出された。200誌の経済投資雑誌が12誌に整理され、さらに四社四誌に統合する案が出た。鮎川義介と情報局がダイヤモンドと東洋経済を買収して研究機関をつくりその社長に就任するという構想も検討されたが、最終的には立ち消えとなった。ダイヤモンド社は、相当の規模と企画力、編集力とを具備するものとされ、出版部と印刷部の存続認可がおりた。産業経済雑誌として「ダイヤモンド」の存続が認められた。 昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、長い戦争が終わった。その後ダイヤモンドは、11月に共紙の表紙で16ページ、中綴じという薄っぺらなもので復刊する。
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