数寄屋橋阪急
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:50 UTC 版)
東京都心初の店舗として、1956年5月29日にマツダビルディングに数寄屋橋阪急を開業した。(マツダビルディングはその後銀座東芝ビルへ名称変更し、東急不動産が買収したことに伴い銀座TSビルに名称変更している。) 2004年8月31日に数寄屋橋阪急としての営業を終了して子会社の阪急ショッピングセンター開発に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビルモザイク銀座阪急として開業し、服飾店や雑貨店などのテナント48店が入居して2010年3月期に売上高約50億円を上げている。 2007年にビルを取得した東急不動産が老朽化に伴う建て替えを理由に立ち退きを提案し、「建て替えが必要なほど老朽化はしておらず、正当な立ち退き理由にならない」と主張して反論していたところ、2009年4月に東急不動産が東京地方裁判所に立ち退きを求める訴訟を起こした。 2011年3月4日に東急不動産が立退補償金として60億円を支払って2012年8月末で賃貸借契約を解除することなどで和解が成立したため、2012年8月31日までに営業を終了することを発表した。跡地には2016年に商業施設の東急プラザ銀座が開業した。 1963年封切の東宝映画『社長外遊記』『続社長外遊記』で「丸急デパート」として登場した。現在の形態へと変貌を遂げる1980年代以前の姿が映し出されている。
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