第2次世界大戦~戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 11:51 UTC 版)
「ズミイヌイ島」の記事における「第2次世界大戦~戦後」の解説
第二次世界大戦において、ルーマニアは枢軸国側で独ソ戦に参戦したものの赤軍(ソビエト連邦軍)に押し戻され、連合国に寝返った。それからわずか数日後の1944年8月に赤軍陸軍部隊が島を占領した。1947年に人民共和国となったルーマニアと連合国の間で締結されたパリ平和条約では、ズミイヌイ島についての言及はなかった。この条約で定義されたソ連・ルーマニア国境は島より北側にあり、ルーマニアの領土として残っていたが、島は1948年まで事実上ソ連の占領下に留まっていた。1948年2月4日、ルーマニアの首相ペテル・グローザ(ルーマニア語版、英語版)がモスクワを訪問した際、ルーマニアがソ連に譲渡することに同意し、当時ソ連の外相であったヴャチェスラフ・モロトフと「ルーマニア・ソビエト連邦間の国家:国境線の経路を規定する議定書」に署名を行なっている。 同年5月23日、ソ連外交官のニコライ・シュトフとエドゥアルド・メチェンセク外務次官が島に渡り、主権譲渡を規定する議定書への署名を行った。ソ連政府にとって当時島を手に入れることは、ドナウ川河口の航行権の掌握という戦略的な意味合いしか持たなかったが、1980年代以降、島の周辺に石油・天然ガスの埋蔵が発見されたことで領海と経済圏の境界を巡ってソ連とルーマニアの間で外交紛争が発生する事態へ至った。ルーマニアとソ連は1967年から1987年にかけて海洋国境の画定交渉を行ったものの、合意には至らなかった。 1991年のソ連崩壊に伴って、ズミイヌイ島はウクライナ領となる。この時、ウクライナ政府は黒海大陸棚の境界に対するソ連政府の立場も継承している。一方ルーマニアでは、ソ連の崩壊に伴って大ルーマニア主義が勃興し、ソ連に奪われた南ベッサラビア(島のユーラシア大陸側対岸)などの返還を求める民族運動が高揚を見せた。
※この「第2次世界大戦~戦後」の解説は、「ズミイヌイ島」の解説の一部です。
「第2次世界大戦~戦後」を含む「ズミイヌイ島」の記事については、「ズミイヌイ島」の概要を参照ください。
- 第2次世界大戦~戦後のページへのリンク