戦中戦後の売場供出と接収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:14 UTC 版)
第2次世界大戦中の1942年(昭和17年)頃から売場の供出命令があって東京芝浦電気株式会社(現在の東芝)などに施設を提供したり、衣料品の販売中止命令などがあって他の百貨店と同様に事実上百貨店業務が行えなくなってしまった。 1945年(昭和20年)5月29日の空襲の際にも本館は焼失を免れたが、第2次世界大戦後は今度は占領軍となったアメリカ軍の為の施設(PX)として接収され、1953年(昭和28年)に2階以上が接収解除になったものの、1955年(昭和30年)に返還されるまでの2年間はメインの入り口となる1階が使えない売場構成で苦労しながら営業することになるなど第2次世界大戦の前後は思い通りに百貨店として展開できない状況が続いた。
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