戦中及び戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/22 00:15 UTC 版)
1941年3月2日でイースト・フィンチリーまでのロンドン・ノース・イースタン鉄道の旅客列車は廃止され、以降はフィンズベリー・パークとアレクサンドラ・パレスの間での運転となった。ロンドン・ノース・イースタン鉄道とノーザン線の接続はアーチウェイ支線の北西のみとなったため、アーチウェイ支線はフィンズベリー・パーク方面だけの運転となった。 第二次世界大戦中、当駅はV1、V2を含むドイツ軍の空襲に対する防空壕として使用された。ジェリー・スプリンガー(英語版)は1944年2月13日に当駅内で生まれたとされている。 大戦終結後、大規模な復旧と維持の工事がロンドン地下鉄全体に行われたが、資金の不足からすべてを同時に行うことはできず、セントラル線のウェスト・ライスリップ(英語版)、エッピング(英語版)、ハイノールト(英語版)への延伸が優先して着工された。1950年の地下鉄地図にも計画線としてノーザン・ハイト関連の路線が示されていたが、戦後この区間が着工されることはなかった。 1951年10月から1952年10月にかけて、ロンドン・ノース・イースタン鉄道を引き継いだイギリス国鉄はフィンズベリー・パークからアレクサンドラ・パレスの区間の旅客営業を運休した後、1954年7月3日に正式に旅客営業を廃止、1957年には当駅からアレクサンドラ・パレスまでの路線を廃止した。フィンズベリー・パークからイースト・フィンチリーまでと、当駅の地上ホームを経由するハイ・バーネットからエッジウェアまでの貨物営業は1964年まで行われた。貨物営業の廃止後もノーザン・シティ線への車両の出し入れのために当駅の地上線は使用され、非電化であったことからバッテリ式機関車が使用された。架道橋などの維持管理が困難になったことからこの取り扱いも1970年に廃止され、1972年には線路が撤去された。フィンズベリー・パークからアレクサンドラ・パレスまでの区間は当駅周辺を除いて遊歩道(英語版)となっている。 当駅には実際に使用されているものよりもはるかに大きな駅施設を建設する計画で、丘の上に2つのエスカレーターを備える駅舎と、坂を下って地上駅に降りる階段、地上駅に隣接し、駐車場にアクセスするための出入口が設けられることになっていた。駅舎の上にはエリック・オウモニエ(英語版)作のディック・ウィテイントンと猫(英語版)の像が設けられる事になっていた。現在の駅舎は当初の計画より縮小されたもので、エスカレーターも1957年まで設置されなかった。
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