戦中医療
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 09:03 UTC 版)
「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」の記事における「戦中医療」の解説
1939年(昭和14年)5月開院した日本赤十字社広島支部病院は、同年8月には陸軍指定「広島陸軍病院赤十字病院」、1943年(昭和18年)「広島赤十字病院」に改称する。 設立当初から赤十字病院はあくまで陸軍の補助機関であり、開院当時日中戦争時下にあったことから入院患者はすべて軍患者であった。外来のみ民間人が利用できた。ただ医師・看護師共に各地で従軍していたため病院内では共に有資格者は不足していた。それを補っていたのが赤十字病院開設時に作られた救護看護婦養成部(のちの広島赤十字看護専門学校)の看護婦生徒であった。“お国のために、男は兵隊、女は従軍看護婦”という時代であった。 病院内の人員は救護班・消防班・消毒班・庶務班・疎開(物資)班に編成されそれぞれを班長が統括していた。また陸軍の補助機関であった関係から、看護職においても女軍隊と揶揄されていたほどの厳密な階統制が引かれていた。これが被爆後の医療体制を維持できた要因の一つである。
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