戦中・戦後の英語圏地政学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:59 UTC 版)
ヴェルサイユ条約における国境制定に関わったイザイア・ボウマンは1921年に『新世界:政治地理学における問題』を上梓し、「主観的」なドイツ地政学とは異なる、実証的、客観的、非イデオロギー的な科学としての地理学を米国のエリートは学ばなければならないと主張した。しかし、この著作についても米国中心的な視点から描かれたものであることが指摘されており、この視点では普遍的価値感を代表する米国が、他国を支配することは合理的な行為であるとみなされる。両者の地理学は、①ラッツェルの思想を理論的骨組みとしていること、②他者からは文字通り一線を画した自国という場所から世界を観察していること、③類似した観察方法を有し、結論の差異は学術的方法よりもむしろ歴史的地理的視座の差にほかならないという3つの点において類似点を見出すことができ、ボウマンは本人の意に反して「アメリカのハウスホーファー」と呼ばれることもあった。第二次世界大戦期、フランクリン・ルーズベルトのアドバイザーとして重用されたボウマンは、国際連合の創設にも携わったが、国連本部がニューヨークに立地されたことは、ボウマンのような地理学者が、より普遍的なものを代弁しつつ、一方ではアメリカの国益を促進するような動きを展開していたことを示唆する。 冷戦期のアメリカにおいては、地政学的視点が実際の政治と結びつく形で、政治家や外交・軍事政策アドバイザーに継承された。アメリカが戦後の世界大国としてその役割を発展させはじめるにつれて、外交・軍事戦略論の文脈から、アメリカの行為を導き正当化するような地政学的世界観が生み出された。 20世紀中葉の代表的地政学者としては、ニコラス・スパイクマンがいる。スパイクマンは「国力のみが対外政策の目標を達成できるため、その相対的向上が国家の対外政策の第一目的である」と述べ、国家は勢力均衡を保つためにパワーポリティクスに専念すべきだと考えた。彼はマッキンダーの「ハートランド」「外部弧状地域」「内部弧状地域」のうち後者2つを「リムランド」「沖合」と改称し、ハートランドの拡大を防ぐためにはリムランドへの介入が不可欠であるとした。スパイクマンのこの主張は、アメリカが戦後、孤立主義から、封じ込め政策に代表される介入主義へと、政策の舵を切る理論的基盤となった。
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