戦中・被爆・戦後の復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/23 07:51 UTC 版)
戦時の経済統制下『宝章』は昭和13年(1938年)頃に廃刊、活動も全般的に制約を受ける。昭和14年(1939年)7月、髙松悟峰が逝去。藤澤教聲(きょうしょう)が学頭に就任する。しかし、昭和20年(1945年)8月6日、広島を原子爆弾が襲う。学寮の建物も半倒壊するが焼失は免れ、被爆者の救護所となった。 戦後の混乱の中、学寮と広島仏教学院の講義はほどなく再開された。昭和25年(1950年)には宝章会により『宝章』も復刊。昭和28年(1953年)の宗教法人法施行とともに、単立の宗教法人となり、新たな組織編成がなされた。 昭和32年(1957年)に講堂・寄宿舎が本格的に修復され、昭和40年(1965年)には「仏教研究会」が結成、西向寺を会場として仏教と真宗の基礎講座が開かれた。昭和25年(1950年)に復刊していた『宝章』誌は、編集上の困難などから昭和43年(1968年)に途絶えていた。しかし昭和52年(1977年)、別冊号として再復刊、以後、年刊誌として発刊。平成18年(2006年)、創立100周年記念行事が行われる。
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