経済統制下
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1937年(昭和12年)、日中戦争が始まると日本酒を取り巻く状況は暗転した。酒も原料の米も戦略物資とされ軍需用が最優先となり、品質の良い酒が市場に出回らなくなった。さらに食用米を確保するため、1938年(昭和13年)国家総動員審議会によって酒造米200万石が削減させられ、生産は半減した。1939年(昭和14年)の勅令789号によって米穀搗精制限令(通称「精米制限令」)が公布され、精米歩合が65%以上に規制された。縦型精米機の発明により飛躍的な発展の可能性がみえた吟醸酒であったが、これにより、本格的な普及にはなお三十年近い歳月を待つことになった。 1939年(昭和14年)4月1日、日本酒は政府の定める公定価格によって卸売価格と小売価格が固定化された。このことが太平洋戦争末期から戦後の混乱期にかけて別個に存在する実勢価格(闇値)で取引される素地を、すなわち闇市場を作った。この公定価格制度は1960年(昭和35年)まで残った。 こうして日本酒の需要と供給は大きくバランスが崩れ、酒小売店では酒樽を店頭に出す前に中身へ水を加えてかさ増しするところが続出し、金魚が泳げるくらい薄い酒ということで金魚酒と呼ばれた。このような酒を取りしまるために、1940年(昭和15年)にアルコール濃度の規格ができ、1943年(昭和18年)には級別制度が設けられた。級別制度の目的は、「品質に応じて級別にあてはめ、それぞれ異なる酒税を課す」というものであった。当初、制定された級別は「第一級」から「第四級」の4段階であった。そのなかの第一級は、酒税法で「別表に掲ぐる酒類製造業者が製造し、同表に掲ぐる“商標”を付したる清酒にして、アルコール分16度以上、原エキス分32度以上の成分規格を有し、品質につき中央酒類審議会の認定を経たるもの」と定められ、当初は37の酒類製造業者の40の商標(銘柄)が指定された。級別の分け方は1944年(昭和19年)に一級~三級、1945年(昭和20年)一級~二級、そして1949年(昭和24年)に特級・一級・二級となり、この級別制度は1992年(平成4年)まで続いた。
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