開館までのあゆみ
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「近江八幡市立図書館」の記事における「開館までのあゆみ」の解説
アメリカ人建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズは1905年(明治38年)に日本を訪れ、滋賀県立商業学校の英語教師となった。ヴォーリズは1910年(明治43年)にヴォーリズ合名会社を、1920年(大正9年)には近江セールズ株式会社を設立し、1934年(昭和9年)には近江セールズを近江兄弟社と改称した。近江兄弟社関係では近江兄弟社図書館の設置以前にも、「八幡基督教青年会図書部」などとして文庫的な活動が行われていたとされる。日本で軍国主義的風潮が高まりを見せると、キリスト教の伝道を目的としている近江兄弟社への風当たりが強まった。二代目館長を務めた大橋五男は「戦時体制下で伝道らしい伝道ができない時代に、せめて図書館事業を推進することによって、間接的な伝道を狙っていたと思います」との見解を述べている。 1940年(昭和15年)には紀元二千六百年記念行事として図書館を建設することが決定し、日本各地の先進的な図書館約35館を視察した上で、1940年12月11日に近江兄弟社図書館が開館した。開戦前の経済統制下であったため、図書館の建物には為心町中の教会堂を転用している。開館式では東京帝国大学図書館で司書官を務めていた中田邦造の講演が行われ、同志社大学の牧野虎次総長も列席した。開館時には八幡町の人口を超える約2万冊の蔵書を有していた。ヴォーリズは1941年(昭和16年)に帰化してからは一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗っている。
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