開館と被災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 16:13 UTC 版)
1908年(明治41年)11月、東京市立日比谷図書館として開館。当時の建物は三橋四郎設計のアールヌーボー様式で、鹿島組が施工、2万5000冊の貸出本を所蔵していた。閲覧は有料であった。以後、東京市立図書館の中心館としての機能を果たす。 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では閲覧室等が破損したものの倒壊を免れ、11月1日から平常通り開館した。1927年(昭和2年)には蔵書が10万冊に達している。 この当時の図書館は木造部分があり、関東大震災でも一部が破損したままであったために1934年(昭和9年)に建て直しが決まった。しかし、日中戦争の開始により、50トン以上の鉄筋を用いる施設の建設が原則禁止されたこともあり、図書館再建のための起債も物資利用も政府によって禁じられたため、改築は困難となった。そして、危険な施設を放置できないとする理由で1938年(昭和13年)2月17日に3月末での閉館が発表されたが、市民からの抗議が相次ぎ、これに驚いた東京市は政府などと協議して応急修復工事だけは認められた。[要出典]改修工事は1938年(昭和13年)10月に始められ、翌1939年(昭和14年)3月に完了している。 1943年(昭和18年)東京都制施行により、東京都立日比谷図書館となる。1945年(昭和20年)5月25日の空襲で全焼した。当時の館長であった中田邦造は、蔵書の疎開と民間資料の買い上げを進めていたため、蔵書のうち約40万点は難を免れることができたが、209,040冊(東京都調査)の蔵書が焼失した。
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