1948年までとは? わかりやすく解説

1948年まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 06:08 UTC 版)

愛知電気鉄道電7形電車」の記事における「1948年まで」の解説

電7形・附3形豊橋線小坂井到達直前竣工後、1926年4月1日神宮前豊川直通運転開始時に運用開始し予定通り1927年6月1日豊橋線神宮前 - 吉田間が全通した際には両ターミナル間を結ぶ特急急行に電6形などと共通運用され、日本における長距離高速電車のトップグループとなった豊橋線では神宮前 - 吉田間を直通する急行1時間間隔運行されそのうちの1往復速達列車として特急とした。特急神宮前 - 吉田間62.4 km63分、急行72分で結び、その表定速度それぞれ59 km/h52 km/hとなった。これらはその運行開始前時点日本最速であった阪神急行電鉄(現:阪急電鉄神戸線各駅停車51 km/hを抜く高速運転であった電7形筆頭とする出力400馬力(74.6 kW100馬力)の電動車各形式導入によって速達化を実現した豊橋線全通は、名古屋岡崎豊橋沿線主要3都市間を結ぶ交通事情大きな変化もたらした。特に従来三河鉄道線を利用して一旦刈谷まで出て、そこで東海道本線乗り換え遠回りルート経由せねばならなかった知立周辺利用者にとっては、同駅から名古屋豊橋直結する豊橋線もたらした速達効果絶大であった。 なお、1927年11月18日届出にて施行され形式称号改定において、電7形・附3形以下のとおり新形称号付与実施された。 電7形デハ3080形 附3形サハ2020形 これは愛電保有する全形式を対象として、形式称号従来の「電○形」「附○形」から初号車記号番号そのまま形式称号とするよう改定したもので、以降愛電において「電○形」「附○形」の形式称号用いられなくなった1928年にはデハ3300形筆頭とする半鋼製18 m車グループデハ3080形・サハ2020形の増備車として運用開始した。同グループ車体寸法拡大されたものの主電動機制御器、ブレーキシステムといった主要機器デハ3080形とほぼ共通で、デハ3080形やデハ3090形とは当然に総括制御が可能であったこのためグループ各形式車体サイズ相違から収容力に差があったもののデハ3080形やデハ3090形グループ混用され、急行などの営業列車併結運転も実施されている。 その後愛知電気鉄道堀田 - 笠寺間の複線化工事完成により1930年9月1日運転開始した超特急「あさひ」で神宮前 - 吉田間の所要時間57分(表定速度65.7 km/h)に短縮した。 もっとも、同年10月1日運転開始された京阪電気鉄道新京阪線のP-6形による超特急天神橋 - 西院(仮)間を3430秒結んで表定速度67.4 km/h達成同日付で阪和電気鉄道全線開業以来2回目スピードアップ実施して阪和天王寺 - 東和山間61.2 kmノンストップで結ぶ特急により所要48分(表定速度76.5 km/h)を達成したため、愛知電気鉄道デハ3080形などによって達成し保持していた高速運転の日本記録3年で、超特急「あさひ」の速度記録至って運転開始後僅か1ヶ月でそれも10km/h以上の大差付ける形で更新され以後愛知電気鉄道豊橋線現在の名鉄名古屋本線一部)が日本国内における電気鉄道速度記録舞台となることはなくなった。なお戦前日本内地最速列車レコードホルダーとなったのは、阪和電気鉄道の「超特急」(1933年12月20日運転開始阪和天王寺 - 東和山間61.2 km途中停車にて45分表定速度81.6 km/h)で走破)で、この記録戦後10年以上経って国鉄特急「こだま」によって破られるまで保持された。 ただし、京阪電気鉄道新京阪線阪和電気鉄道も共に豊橋線同様に速達性を最優先し建設時点で最新かつ最重量級100 ポンドレール(現在の50 kgレール相当)を敷設するなど同時代国鉄特甲線匹敵する施設備え、かつ直線主体良好な線形計画・建設された、豊橋線上回る規格路線であった。しかも両線ともに1基あたりWH-556-J6の2倍に当たる200馬力(≒149.2 kW)の高出力電動機を4基搭載する強力な800馬力電動車であるP-6形(新京阪線製造初年1927年)・モタ300形モヨ100形阪和電気鉄道製造初年1929年)を新造し、それらのノンストップ転により記録達成している。このことから、建設時の最高規格技術豊橋線建設されてからわずか数年で、日本電気鉄道をとりまく技術的な環境激変したことが見て取れる1930年ごろ撮影され写真用いた絵葉書ではデハ3300形前照灯貫通扉設置され1930年9月運転開始超特急「あさひ」に運用されデハ3300形貫通扉大型ヘッドマーク掲げ前照灯屋根固定となっている。このことから愛知電気鉄道ではデハ3300形竣工以降早い時期前照灯貫通扉への取り付け式から屋根上中央への固定式変更されたと考えられ実際に1934年5月撮影デハ3080の写真では前照灯屋根上に取り付けられている。 またこれと前後してアメリカ流の片押し踏面ブレーキ基礎ブレーキ装置採用していたデハ3080形のグループについて、より大きな制動力得られる抱き式への改造工事1930年代中盤実施されている。 愛知電気鉄道1935年8月1日名古屋以西以北の各路線建設していた名岐鉄道合併し、ここに現在の名古屋鉄道発足するその際各社からの引継車間形式車番競合発生したことから1941年形式番号整理が行われ、デハ3080形・サハ2020形およびデハ3090形以下のとおり新形称号付与改番実施された。 デハ3080形デハ3081 - デハ3084・デハ3080・デハ3086 - デハ3089モ3200形モ3201 - モ3209 サハ2020サハ2020 → ク2020形ク2021 デハ3090形デハ3090 → モ3250形(初代)モ3251 また、この改番前後した時期に、旧愛知電気鉄道知多鉄道系の車両について塗装従来愛知電気鉄道標準であったマルーンから合併相手である名岐鉄道標準であったダークグリーン変更されている。 各車とも戦時中混雑緩和のため扉間のクロスシートロングシート改造された。戦後1948年5月16日名岐線豊橋線電圧統一成って統合名古屋本線改称された。本形式はこの時まで豊橋線特急はじめとする優等列車使用された。

※この「1948年まで」の解説は、「愛知電気鉄道電7形電車」の解説の一部です。
「1948年まで」を含む「愛知電気鉄道電7形電車」の記事については、「愛知電気鉄道電7形電車」の概要を参照ください。

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