1948年の計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:26 UTC 版)
ロンドン中心部を大きな径の鉄道トンネルで、パディントンとリヴァプールの幹線駅を結ぶコンセプトは鉄道員ジョージ・ダウ(英語版)によりロンドンの夕刊紙『ザ・スター』(The Star) に1941年6月14日に提案された。ダウはまた、戦後のテムズリンク・ラインを予想し、南北の路線も提案している。現在のクロスレールの元となる提案は1943年のパトリック・アバークロンビーによる大ロンドン計画であった。これらは鉄道委員会(ロンドンプラン)による専門家調査につながり、1944年に定められ1946年と1948年に報告された。A路線はラフバラ・ジャンクション(英語版)からユーストンまでで、ブラックフライアーズ橋を取り替えて大部分は今日のテムズリンク計画(英語版)が同じ役割を果たしている。F路線はルイシャム駅(英語版)とキルバーン(英語版)をフェンチャーチ・ストリート、バンク、トラファルガー広場、マーブルアーチ、メリルボーン経由で結ぶものであった。C路線はA路線より優先順位は低いと見られていたが、この1路線だけヴィクトリア線として小径の地下鉄トンネルで建設された。
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