1948年の国有化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:23 UTC 版)
19世紀に世界初の鉄道として誕生したイギリスの鉄道は一貫して私鉄のみで発展をとげたが、第一次世界大戦中に一時的に政府の管轄下におかれた。大戦後は国有化も検討されたが見送られ、代わりに1921年鉄道法によって1923年1月1日付で100数社にも及ぶ私鉄各社の大合併が実施されることとなり、西部のグレート・ウェスタン鉄道(GWR)、西海岸のロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道(LMS)、東海岸のロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)そして南東部のサザン鉄道(SR)の大手私鉄4社(ビッグ4)に集約された。 第二次世界大戦後、クレメント・アトリー率いる労働党政権は公共事業の国有化を進め、その一環として、1947年輸送法(英語版)によって1948年にイギリス運輸委員会(British Transport Commission、略称BTC)を設立して国内の公共交通を一元管理した。その際私鉄4社も傘下の鉄道部局(Railway Exective)に接収され、商標として「British Railways」(ブリティッシュ・レールウェイズ)が制定された(いわゆる「イギリス国鉄」の発足)。その後1962年運輸法(英語版)でBTCは解体され、鉄道部局はイギリス国鉄本社(British Railways Board)という公共企業体(英語版)として独立した。 なお、国有化の対象外とされた陸軍ロングムーア専用線(英語版)などの専用線や軽便鉄道の大半、ロンドン地下鉄、グラスゴー地下鉄およびリバプール高架鉄道(Liverpool Overhead Railway)などの公営交通や各地の路面電車はそのまま存続し、LMSが保有していた北アイルランドの北部カウンティ委員会線区(英語版)は北アイルランド政府に売却され、1949年に設立されたアルスター運輸機構(Ulster Transport Authority、UTA、現在の北アイルランド鉄道)に引き継がれた。 1930年代以降の大恐慌と第二次世界大戦時の経済統制による私鉄各社の収益低下、さらにドイツ軍の空襲被害が重なり、新規の設備投資はおろか日常の保守管理もままならなくなり、国有化後は戦災復旧およびメンテナンス水準を戦前なみに戻すのが喫緊の課題となっていた。その他戦争で立ち消えとなった私鉄時代の投資計画もウッドヘッド線(英語版)マンチェスター - ワース間(英語版)および旧グレート・イースタン鉄道(英語版)ロンドン口のリバプール・ストリート~シェンフィールド間電化など一部が再開された。 日本やアメリカ、フランスなど周辺各国が電気車やディーゼル車への投資に舵を切る中、イギリスでは電化はロンドン近郊などを除きごく一部に限られ、私鉄以来の蒸気機関車が重宝された。国有化後も私鉄設計の蒸気機関車が引き続き増備され、1951年以降国鉄型蒸気機関車が登場し、国鉄最後にして999両目の本線用蒸気機関車がスウィンドン工場(英語版)で落成したのは1960年のことだった。 1950年代以降モータリゼーションが進行し、余剰となった重複路線の整理がなされることとなり路線廃止が開始された。イースト・アングリアでは1959年に旧ミッドランド・アンド・グレート・ノーザン・ジョイント鉄道(英語版)線のほとんどが廃止された。また、グレート・セントラル鉄道(英語版)本線の長距離旅客列車は1960年までに廃止された。しかしながら、この路線・列車の廃止はその後の大規模廃止と比較するとわずかなものだった。
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