天満橋
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天満橋(てんまばし)は、大阪府大阪市を流れる大川に架けられた橋。または、同市北区の町名。現行行政地名は天満橋一丁目から三丁目まで。他に、天満橋南詰周辺の地域名でもある。
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- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
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天満橋(橋梁)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 01:12 UTC 版)
天満橋(てんまばし)は、大川に架かる天満橋筋(大阪府道30号大阪和泉泉南線)の橋。難波橋、天神橋と共に浪華三大橋と称され、最も東(上流)に位置する。大阪市北区天満と中央区天満橋京町の間を結んでいる。 上下階式構造の橋で、上層は「天満重ね橋」とも呼ばれ、土佐堀通をまたぐ跨道橋になっている。天満橋南詰には天満橋交差点があり、ここより北を天満橋筋、南を谷町筋という。Osaka Metro谷町線が天満橋の地下を通過している。 天満橋(葛飾北斎) 明治時代に作った鉄橋 天満橋の夜景 天満橋を南から望む
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天満橋(町名)
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1978年(昭和53年)、大阪市北区の住居表示実施に伴い誕生した町名。旧町名の空心町、新川崎町、天満橋筋がそれぞれ分割され、その一部が天満橋一丁目 - 三丁目となる。同時に1872年(明治5年)から続いた天満橋筋の町名が姿を消した。 天満橋(橋梁)からは相当離れており、源八橋西詰周辺に当たる。大阪アメニティパーク (OAP) があり、天満橋筋に面している。
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天満橋(地域名)
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明治末期、大阪市電天満橋停留場、京阪電鉄天満橋駅が天満橋南詰に開業して以来、一般的に天満橋と言えば天満橋南詰周辺を指すようになった。 天満橋駅は長らく京阪本線の大阪側ターミナルであったが、1963年(昭和38年)に淀屋橋駅まで延伸された際に途中駅となり、同時に地下駅となって天満橋筋の西側へ移転。1966年(昭和41年)に竣工した駅ビルには日本橋より移転した松坂屋大阪店が入居した。 1969年(昭和44年)には地上駅の跡地に大阪マーチャンダイズ・マートビル(OMMビル)も竣工したが、同年、京橋駅が現在地へ移転および高架化されて大阪環状線乗換駅としての利便性が向上し、翌1970年(昭和45年)には現在の京阪モールがオープンした。一方、天満橋駅の地位低下は決定的なものとなり、松坂屋大阪店は天満橋移転後一度も黒字を出すことなく2004年(平成16年)に閉店した。 2008年(平成20年)に京阪中之島線が開業したことによって天満橋駅は分岐駅となり、それに合わせた京阪シティモールの開業や大阪市営バス天満橋バスターミナルの拡充、『川の駅』はちけんやなど駅周辺の再開発事業が行われている。 天満橋交差点西側は土佐堀通に沿って天満橋京町という町名になっているが、元は京橋という町名であった。江戸時代から京橋という町名で、京街道沿いの町であったことに由来する。1989年(平成元年)に東区と南区とが合併して中央区が成立した際に、京橋一丁目が大手前一丁目に編入され、同二丁目が天満橋京町、同三丁目が北浜東に改称された。
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