旧町名(太尾町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 01:42 UTC 版)
「大倉山 (横浜市)」の記事における「旧町名(太尾町)」の解説
縄文時代には海岸線がこの辺りまで来ており、大倉山が岬のように海へ突き出していた。その形が動物の太い尾のように見えたことから太尾と名付けられたといわれている。太尾の地名は、1352年の「鶴岡脇堂供僧次第」に見ることができる。その後、橘樹郡太尾村となり、村内を三分して東から上太尾(現在の駅前付近)、中太尾、下太尾(鶴見川沿い)と呼ばれた。1889年(明治22年)の市制・町村制施行により大綱村太尾、1927年(昭和2年)には横浜市に編入されて神奈川区太尾町となり、1939年(昭和14年)に港北区太尾町となった。 大倉山への町名変更の後も、太尾小学校、太尾堤緑道、横浜太尾郵便局他にその名を残している。
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