旧町名と地誌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:58 UTC 版)
中島町界隈を構成する旧6町(旧町名で中島本町・材木町・天神町・元柳町・木挽町・中島新町)の成立はいずれも藩政期(一部はそれ以前の毛利氏支配時代)まで遡るが、当時は「中島組」にまとめられ広島城下の町分「五組」の一つに数えられていた(『知新集』)。なお「中島」の名は本川と元安川に挟まれた三角州の島の名に由来する。 1965年4月の町名改正によって旧町名は消滅し、旧水主町の一部と併せて現町名「中島町(なかじまちょう)」に統合された。また先述の通り旧中島本町・旧材木町・旧元柳町は全域が平和記念公園として整備されたが、旧天神町・旧木挽町の南半分および旧中島新町の大部分は平和大通りとなるか、それ以南の市街地(現・中島町内)として残っている。
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