旧甲種学生(准尉候補者)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:24 UTC 版)
「陸軍士官学校 (日本)」の記事における「旧甲種学生(准尉候補者)」の解説
ここでいう「准尉」とは、1937年(昭和12年)にそれまでの特務曹長の階級名を改めた准士官のことではなく、1917年(大正6年)に陸軍補充令改正(勅令第97号) により新設された特務曹長の上位となる士官である。この制度の間は陸軍に特務曹長と准尉が併存した。准尉は陸軍武官官等表では少尉と併記され 中隊附の少・中尉と同様の勤務をするが、平時は少尉の下位に置かれ、戦時には必要に応じ中尉または少尉に進級させることができると定められていた。 陸軍士官学校准尉候補者教育条例(軍令)に基き、准尉候補者教育が士官学校で行われた。現役准尉となるには実役停年2年以上の現役特務曹長の中から「体格強健、人格成績共ニ優秀且学識アル者」 が試験を受け、選抜された者が准尉候補者とされた。准尉候補者は学生として入校し、中隊附下級将校の職務を執るのに必要な軍制、戦術、兵器、築城、交通、地形、剣術、体操、馬術(歩兵は除く)、現地戦術、測図について6月中旬より10月上旬まで約4ヶ月間の教育を受け(ただし大正6年のみは8月上旬より10月下旬に至る約34ヶ月間とされた)、修業試験に及第すると原隊に戻って士官勤務をしながらさらに教育を受けたのち、適格と判断されれば特務曹長から准尉に任官した。 第1期准尉候補者学生修業証書授与式には、大正天皇自らが臨幸するという、本科生徒に準じた扱いがなされた。また、卒業生中の優等者にはいわゆる恩賜の銀時計が下賜された。 1918年(大正7年)10月第2期准尉候補者学生修業考科列序表によると、当該期に修業した学生数は、歩兵202名、騎兵19名、野砲兵32名、野戦重砲兵12名、工兵16名、輜重兵5名の、総計286名であった。准尉制度は1920年(大正9年)8月に廃止された。
※この「旧甲種学生(准尉候補者)」の解説は、「陸軍士官学校 (日本)」の解説の一部です。
「旧甲種学生(准尉候補者)」を含む「陸軍士官学校 (日本)」の記事については、「陸軍士官学校 (日本)」の概要を参照ください。
- 旧甲種学生のページへのリンク