准尉制度
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1917年(大正6年)8月、陸軍は平時編制改正(軍令陸乙第7号)による歩兵科を中心とした大尉以上の定数増と中尉・少尉の減員とともに、陸軍補充令中改正(勅令第97号)、陸軍武官官等表中改正(勅令第95号)により、今までなかった准尉という階級を新設した。この准尉は1937年(昭和12年)2月に特務曹長の階級名を改めた准士官のことではなく、特務曹長の上位となる士官のことである。士官に准尉を設けた制度の間は陸軍に特務曹長と准尉が併存した。准尉は各兵科のみの階級で、経理部、衛生部など各部には置かれなかった。 准尉の制度制定理由書には「士官学校出身者ノミヲ以テ中少尉ノ平時要員ヲ充足セシムントスル現制ハ(中略)大尉以上ノ各級将校ノ数ニ比シ中少尉ノ数著シク多キカ為其ノ進級大ニ停滞シ(後略)」と、現状の人事諸問題がまず最初に書かれ、次に「隊内ニ於ケル中少尉ノ定員ヲ減シ下士出身者ヲ以テ之ヲ補フ(中略)近時国軍兵力ノ増大ト共ニ戦時下級将校一部ノ要員ニ充当スヘキ下士出身者ヲシテ平時ヨリ其ノ勤務ヲ演練セシメ国軍ヲシテ益々精鋭ナラシムルヲ得ヘシ」と、下士官出身者を昇級させる利点を挙げている。しかしながら理由書ではさらに陸軍士官学校出身者との学識の格差や、兵から何年もかけ順を追って昇級してくるがゆえの年齢差のため、下士官出身者を少尉とすることは将校団にとって「動(ヤヤ)モスレハ其ノ品位ト団結トヲ傷フ」との差別視から、特に准尉という階級の新設となったのである。 現役准尉となるには実役停年2年以上の現役特務曹長の中から「体格強健、人格成績共ニ優秀且学識アル者」が試験を受け、選抜された者が准尉候補者とされた。准尉候補者は陸軍士官学校で士官候補生の生徒とは異なる課程の学生として軍制・戦術・兵器・築城・交通・地形・剣術・体操・馬術(歩兵は除く)・現地戦術・測図について6月中旬より10月上旬まで約4か間の教育を受け、修業試験に及第すると原隊に戻って士官勤務をしながらさらに教育を受けたのち、適格と判断されれば特務曹長から准尉に任官した。 准尉は陸軍武官官等表では少尉と併記され中隊附の中尉または少尉と同様の勤務をするが、平時は少尉の下位に置かれ、戦時には必要に応じ中尉または少尉に進級させることができると定められていた。それは裏返せば戦時でもないかぎり准尉はそれより上の階級に進めないことを意味し、上級将校のポストは数を少く絞った士官候補生出身者の中だけで選考することができる。さらに中尉・少尉の現役定限年齢が45歳に対して准尉は42歳と低く、階級章は少尉が3本の金線と五芒星で表すのに対し准尉の星型は丸い座金の上に配置するデザインであった。また陸軍補充令の中だけでも「士官(准尉ヲ除ク)」「士官ニシテ准尉ニ非サル者」といった記述が見られ、准尉はあくまでも限定的な士官といえる。このように准尉制度では准士官から進級した准尉と士官候補生出身の将校には溝が残ったままであったが、1920年(大正9年)8月の陸軍武官官等表改正(勅令第241号)で准尉の階級はなくなり、従来の准尉は同年8月10日付で少尉に任じられて、制度は3年で終わった。その間に陸軍士官学校において学生教育を受け、准尉に任じられた者は第1期が286名、第2期が287名、第3期が204名であった。
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