准大臣宣下と源氏長者の関係
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「准大臣」の記事における「准大臣宣下と源氏長者の関係」の解説
一方、堀川基具の側からすれば、准大臣宣下は別の意味をもっていた。准大臣になる直前の基具は従一位大納言で源氏長者を兼ねていた。当時の氏長者は現任の一門上首、すなわち一門のうちでもっとも高い地位にある現職者が任じられるのが慣例であり、必ずしも嫡子・嫡流にこだわったものではなかった。しかも当時村上源氏では嫡流の久我家が失脚や内紛などによって一時衰退していたために官位においては不振であり、その結果嫡流の久我通基と庶流の堀川基具・土御門定実が源氏長者の地位を争うかたちとなっていた。結局従一位大納言の堀川基具が一門上首として源氏長者になったが、久我家の再興に燃える久我通基が村上源氏の嫡流として官位において急激な昇進を遂げると、基具の一門上首は一転して脅かされることになった。そもそも堀川基具は大納言首位となって以来11年にわたって昇進を止められていた。そうした中で基具があえて大納言を辞めて准大臣宣下を受けたのはなぜかと考えるならば、基具は准大臣となることで引き続き一門上首であり続けることを期待していたためと推論せざるを得ない。基具が「准大臣は大納言の前官礼遇」とする亀山院の裁定をものともせず、それを「存外之沙汰」として一顧だにせぬかのごとく振る舞い続けたのには、こうした背景があったのである。実際に、基具は大納言を辞めた後も源氏長者であり続けた。これはとりもなおさず准大臣が大臣に准じた現任の官職であるという解釈のもと、基具の一門上首が維持されたためだと考えることができる。
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