久我通基とは? わかりやすく解説

久我通基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/18 23:54 UTC 版)

久我 通基(こが みちもと)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿大納言久我通忠の子。官位従一位内大臣後久我内大臣と号する。


  1. ^ a b 『尊卑分脈』に従う。
  2. ^ 同年7月5日には承明門院が崩御。
  3. ^ 同月22日に勅使として蔵人佐俊光が通基邸に遣わされ、大臣と大将を辞するよう仰せがあった。
  4. ^ 『久我家文書』所収、永仁4年または5年7月23日付けの官位所望書状では太政大臣ならびに従一位を所望している。結果的に従一位の希望だけが達せられた。


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