久我敏通とは? わかりやすく解説

久我敏通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/28 23:13 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
久我敏通
時代 江戸時代中期
生誕 享保20年1月27日1735年2月19日
死没 宝暦6年2月25日1756年3月25日
官位 正三位権大納言正二位
主君 桜町天皇桃園天皇
氏族 久我家
父母 父:久我通兄、母:家女房
兄弟 敏通、通維、細川重賢室、千種有政室、酒井忠貫
不詳
養子:信通
テンプレートを表示

久我 敏通(こが としみち)は、江戸時代中期の公卿。主に桜町天皇(114代)・桃園天皇(115代)の二帝にわたり、仕え、官位は正三位権大納言(薨去後正二位追贈)。この信通と敏通の曽祖父は久我通名である。

経歴

元文2年(1737年)に叙爵し、清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従左近衛少将左近衛中将などを経て、寛延元年(1748年)に従三位となり、公卿に列する。宝暦3年(1753年)に権大納言に就任。しかし彼は父とともに竹内敬持の門下生であったため、宝暦6年(1756年)に権大納言辞職に追いやられる。またこの年に薨去した。享年22。

徳川幕府崩壊後の明治24年(1891年)、晴れて名誉回復し、正二位を追贈された。

系譜

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「久我敏通」の関連用語

久我敏通のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



久我敏通のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの久我敏通 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS