竹内敬持とは? わかりやすく解説

竹内敬持

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 16:26 UTC 版)

竹内 敬持(たけのうち たかもち、正徳2年(1712年) - 明和4年12月5日1767年1月24日))は、江戸時代中期の神道家、尊王論者。通称は竹内 式部(たけのうち しきぶ)。号は正庵・羞斎(しゅうさい)など。子に竹内主計がいる。


注釈

  1. ^ 同時期に学んだ者の中には、後に『日本書紀』の本格的な全巻注釈書『日本書紀通証』(35巻23冊、宝暦12年刊)の著者として知られる谷川士清がいた[1]
  2. ^ 宗基は1754年(宝暦4年)に急死してしまい、式部は大きな後ろ盾を失うことになる[4][5]
  3. ^ 一条兼香と親交のあった三宅尚斎に対し、式部が上下の分を憚らずに論争を起こしたことで、上下関係の秩序を重んじる兼香が式部の存在を危険視するようになり、道香もまたその認識を承けたとされる[8]
  4. ^ 潜居後の式部を手厚く庇護したのは、谷川士清の女婿で内宮権禰宜の蓬萊尚賢である[18]

出典

  1. ^ 大貫大樹 (2023), p. 7(「竹内式部と宝暦事件研究の課題」- 本書の書き下ろし)
  2. ^ a b 林大樹 (2021), p. 250(「宝暦事件の基礎的考察」- 本書の書き下ろし)
  3. ^ a b 林大樹 (2021), p. 261(「宝暦事件の基礎的考察」- 本書の書き下ろし)
  4. ^ 林大樹 (2021), p. 276(「宝暦事件の基礎的考察」- 本書の書き下ろし)
  5. ^ 林大樹 (2021), p. 306(「宝暦事件の基礎的考察」- 本書の書き下ろし)
  6. ^ 林大樹 (2021), p. 232(「宝暦事件の基礎的考察」- 本書の書き下ろし)
  7. ^ 林大樹 (2021), p. 281(「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  8. ^ 大貫大樹 (2023), pp. 442–443(「宝暦事件再考」- 本書の書き下ろし)
  9. ^ 林大樹 (2021), p. 278(「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  10. ^ 林大樹 (2021), p. 280(「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  11. ^ 大貫大樹 (2023), p. 461(「宝暦事件再考」- 本書の書き下ろし)
  12. ^ 林大樹 (2021), pp. 301–303(「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  13. ^ 林大樹 (2021), p. 273(「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  14. ^ 林大樹 (2021), pp. 303–306(「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  15. ^ 林大樹 (2021), pp. 281–292(「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  16. ^ a b 藤田覚, 2018 & Kindle版、位置No.全394中 177 / 47%.
  17. ^ 林大樹 (2021), p. 274(「宝暦事件の再検討」- 本書の書き下ろし)
  18. ^ a b 大貫大樹 (2023), p. 8(「竹内式部と宝暦事件研究の課題」- 本書の書き下ろし)
  19. ^ 藤田覚, 2018 & Kindle版、位置No.全394中 180/ 48%.
  20. ^ 新潟市歴史博物館『新潟・文人去来』新潟市歴史博物館、2007年。p. 6.
  21. ^ 山縣昌蔵編『追遠餘録』私家版、1892年。


「竹内敬持」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「竹内敬持」の関連用語

竹内敬持のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



竹内敬持のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの竹内敬持 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS