神社建立計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 03:40 UTC 版)
竹内式部の功績を評価し、「竹内神社」の建立に向けて動いている。それに伴う奉賛会の動きが具体化しているのは、1934年(昭和9年)年に新潟市らが主催で、神社建立懇親会を開催した頃からである。 建立に伴う準備委員会が3回ほど実施され、1936年(昭和11年)年12月5日に旧新潟市役所にて、奉賛会発足会が挙行されている。しかし発足会挙行後、奉賛会の活動がわかる資料が発見されていないとされ、詳細は謎とされる。その影響もあり、一時期「竹内神社」建立の動きも停滞していった。 皇紀2600年事業に関連し、1939年(昭和14年)年に記念事業委員会上で、市会議長が竹内神社の建立を提案。また、護國神社の中への建設案を上申し了承される。内務省は竹内神社の建立に関しては賛成するも、護國神社と同一の場所に建立しないことや、竹内神社を建立する際は立派な形で建立することを条件として提示した。 しかし、戦時中における出費の膨大や、施設建設費の出費増及び警察官講演会基金等寄付金募集が氾濫し、竹内神社建立までに手が届かず、建立は幻に終わってしまった。
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