玉木正英とは? わかりやすく解説

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たまきまさひで 【玉木正英】

江戸中期神道家。号は葦斎。春原信直らに学び垂加神道奉じた。著『疱瘡禁厭之伝』他。(一六七〇~一七三六

玉木正英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/18 04:46 UTC 版)

玉木 正英(たまき まさひで、たまき せいえい、1671年1月17日寛文10年12月7日) - 1736年8月14日元文元年7月8日))は江戸時代中期の神道家。通称は兵庫、号は葦斎(いさい)・五十鰭(いひれ)翁。京都梅宮社の神職ともいわれるが、その根拠となる資料はなく、はじめは人形商であったともいう[1]正親町公通らについて垂加神道をおさめ、その道統継承者となる。また、同族の薄田以貞(すすきだ これただ)から橘氏伝来の神道説を受け継ぎ、いわゆる橘家神道を整備・普及した。著書に「玉籤集」「神代巻藻塩草」など。門人に谷川士清など。

脚注

  1. ^ 「成斎先生雑話」(近藤啓吾校注『神道大系 論説篇 垂加神道・上』神道大系編纂会)

参考文献

  • 谷省吾『垂加神道の成立と展開』国書刊行会
  • 松本丘『垂加神道の人々と日本書紀』弘文堂 2008年



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