源氏の歴史とは? わかりやすく解説

源氏の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:03 UTC 版)

源氏」の記事における「源氏の歴史」の解説

皇族からの臣籍降下律令成立以前から存在しており、古くは公のカバネ与えられ諸氏や、天武天皇時代真人カバネ与えられ諸氏奈良時代橘氏や、光仁天皇桓武天皇平城天皇の子孫などが存在する弘仁5年814年)に嵯峨天皇皇子女8人が臣籍降下し、源姓与えられたのが最初源氏である。これらの賜姓は、一定の以降生まれた子女のうち、生母家格が低いものに一括して行われた。この賜姓嵯峨の詔が述べているように、朝廷歳費節約理由とされる説が大勢占めていたが、上級貴族として皇室の藩塀とすることが目的であるという説もある。しかし一部氏族除いて没落していく例が多く藩屏としての役割十分に果たせるものではなかった。 「源」は皇室と祖(源流)を同じくするという意味であり、元々は中国五胡十六国時代南涼の子禿髪破羌が、南涼滅亡後北魏仕えた際、太武帝から禿髪氏と拓跋氏北魏帝室の姓)は源が同じであるとして源の姓を与えられ源賀名乗ったことに由来する。他にも、「源」は「水元」であるという説もある。例えば、『和訓栞』(谷川士清)では「みなもと、源をよめり。水元の義なり」とある。また、神代巻藻塩草』(玉木正英)では「源ノ訓ハ水元也」とある。 嵯峨天皇の後の天皇も度々皇族源氏として臣籍下したことから、それぞれの祖とする天皇ごとに集団形成し氏爵を受けるようになった。これらの集団年号により「弘仁御後嵯峨天皇の子)」、「延喜御後醍醐天皇の子)」などと呼ばれるそれぞれの祖と仰ぐ天皇の号をもって嵯峨源氏仁明源氏文徳源氏清和源氏宇多源氏などとも呼ばれるが、これは同時代的に使用されことはなく、『国史大系』の編纂にあたって使用されたのが最初である。 源氏賜姓開始され以降仁明文徳光孝の子孫には平氏賜姓受けた皇族もおり、清和天皇時代には別の賜姓が行われたが、源氏姓を受けたものは他の姓より格上とされた。その後平氏その他の賜姓途絶え新たに賜姓される際には源氏ばかりとなった源氏の中で最も高い官位を持つものは源氏長者呼ばれ奨学院淳和院別当兼ね氏爵与え権限持っていた。村上源氏師房流が繁栄すると、以降嫡流である久我家がほぼ独占する至ったが、足利義満源氏長者となって以降現職征夷大将軍が就くことが多くなり、江戸時代にはほとんど将軍独占状態となった平安後期以降皇位継承とは関わりのない皇子皇女たち出家する慣例生まれたため、賜姓源氏はほとんど途絶えていた。江戸時代入って一家生まれた広幡家)が、それを最後に源氏賜与途絶えた明治時代になると本姓称することが停止されたため、源氏存在認識されることは少なくなった。源姓本姓源氏)の家系それぞれ別の苗字号しているため、現在「源」を「苗字」として名乗る例は多くなく、推定人口は4,000人程である。

※この「源氏の歴史」の解説は、「源氏」の解説の一部です。
「源氏の歴史」を含む「源氏」の記事については、「源氏」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「源氏の歴史」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「源氏の歴史」の関連用語

1
2% |||||

源氏の歴史のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



源氏の歴史のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの源氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS