源氏の神話化の原点としての前九年の役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 04:25 UTC 版)
「前九年の役」の記事における「源氏の神話化の原点としての前九年の役」の解説
「前九年の役」における頼義・義家の戦勝は、河内源氏が武門の家の中でも最高の格式を持つ家である根拠として、中世以降、繰り返し参照されるようになった。実際、頼義・義家の家系からは後に源頼朝が出て鎌倉幕府を開いただけでなく、室町幕府を開いた足利尊氏も河内源氏であった。彼らが武門の棟梁の象徴として征夷大将軍を名乗った背景には、頼義が蝦夷を征討した形となったこの戦役がある。頼朝は源義経および奥州藤原氏の征討に際し、自身が「前九年の役」を意識し、平泉滅亡後もさらに北上して、父祖戦勝の地「厨川(厨川柵)」へ赴き、義家が同地で行なった鉄釘の故事を再現したと記されている。また、後世、前九年の役の聖地とも言える「斯波郡」を領有した足利氏の分家は斯波氏を名乗り、室町幕府三管領家の筆頭格となった。なお、江戸幕府を開いた徳川家康は河内源氏の新田氏の傍流である得川氏を自称した。 『宇治拾遺物語』の「白河院おそはれ給事」には、義家の武芸が人智を超えたものであったと記されている。
※この「源氏の神話化の原点としての前九年の役」の解説は、「前九年の役」の解説の一部です。
「源氏の神話化の原点としての前九年の役」を含む「前九年の役」の記事については、「前九年の役」の概要を参照ください。
- 源氏の神話化の原点としての前九年の役のページへのリンク