源氏の勝利を祈願とは? わかりやすく解説

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源氏の勝利を祈願

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 20:52 UTC 版)

進美寺」の記事における「源氏の勝利を祈願」の解説

治承4年1180年)、平家圧力によって安徳天皇譲位された高倉天皇が、上皇なられた際、従来慣習従わず安芸厳島神社御幸されることとなった。(厳島神社は、平家氏神にあたる)先例として社参を受けるべき円城寺衆徒延暦寺興福寺衆徒はこれに異議唱え、反平家態度団結高倉上皇厳島御幸断行しようと謀る平清盛対決姿勢鮮明にした。進美寺は、本山である延暦寺指示を受け但馬における反平家拠点として平家誅滅源氏必勝祈願行い源氏方の有力勢として活躍元暦2年1185年)、源義経屋島の戦い平家軍勢攻めた時、進美寺観音経一万巻を転読し源氏の勝利を祈願した。さらに、文治2年正月18日1186年)からは、平家討滅まで毎日観音経三十三巻読誦行い源頼朝武運長久必勝歳を奉祈した。これらの必勝祈願は、頼朝から指示受けた但馬国惣追捕使小野時広を奉行として行われた進美寺平家討滅祈願早くら行い、親頼朝路線鮮明にしていた実績から信認得て幕府祈祷所(関東御祈祷所)」と定められた。進美寺は、建久5年5月1194年)には、法華経三千部と観音経十万巻を奉読したこれまでの実績小野時広に示し、これを受けて小野は「進美寺関東(鎌倉幕府)の大切な御祈祷所であるから、(進美寺に対して)決し狼藉を行うようなことがあってはならない」と但馬国中の大名豪族に対して厳命下した

※この「源氏の勝利を祈願」の解説は、「進美寺」の解説の一部です。
「源氏の勝利を祈願」を含む「進美寺」の記事については、「進美寺」の概要を参照ください。

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