先例として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 05:38 UTC 版)
すでに述べたようにこの英仏大陸棚事件仲裁判決は、大陸棚の境界画定に関する判例としては1969年の北海大陸棚事件国際司法裁判所(ICJ)判決に続く判例であり、実際に仲裁裁判所は判決の中で北海大陸棚事件で示された判断を先例として参照している。この英仏大陸棚事件の後も1982年のチュニジア・リビア大陸棚事件ICJ判決、1985年のリビア・マルタ大陸棚事件ICJ判決、1985年のギニア・ギニアビサウ海域境界画定事件仲裁判決、1999年のエリトリア・イエメン間の仲裁判決と、海域の境界画定に関する判例は積み重ねられていく。これらの判例から大陸棚の境界画定に関しての画定的な原則を導き出すことは難しいが、これらの判例において判断材料とされているのは、例えば本件で問題となった係争海域における島の存在、海岸の長さ、陸地の境界線からの継続、といった地理的要因が重視される傾向にある。等距離原則は境界画定のための義務的な方法とはされてこなかったが、この英仏大陸棚事件のように境界画定の過程で暫定的に等距離・中間線が用いられ、他の事情を考慮に入れてその中間線を修正したものが境界線として設定される場合が多い。1973年から行われた第3次国連海洋法会議では、大陸棚の境界画定は等距離・中間線によってなされるべきと主張する等距離原則派の国々と、等距離・中間線のみによって境界画定を行うと海岸の地形によっては不衡平な結果が生じうるため境界画定は衡平原則によって行うべきとする衡平原則派の国々との間で対立があり、等距離原則と衡平原則双方に中立的に言及した条文案も両陣営から反対された結果、1982年に採択された国連海洋法条約第83条第1項は最終的に大陸棚の境界画定の原則が等距離原則なのか衡平原則なのか明示しない形の条文とせざるを得なかったが、この点に関してこの英仏大陸棚事件仲裁判決では、問題の海域の大陸棚境界画定のためには等距離原則と衡平原則が不可分の原則と判断されたのである。
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