第3次国連海洋法会議
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1973年から始まった第3次国連海洋法会議では、深海底の開発主体や開発方法、国際海底機構の役割、深海底開発による利益の国際社会への還元、などといった諸点について、先進国と発展途上国との間で対立があった。同会議においては、従来の表決手続きによる条約採択では問題の本質的解決を得るのは難しいと判断され、合意に至るまで話し合い票決は行わないという、コンセンサス方式が導入された。しかし深海底制度に関しては各国の対立は解消されず、1981年に発足したアメリカのレーガン政権は条約案全体を修正することを主張し、全面修正案を会議に提出した。それまで同会議では一切の事項をコンセンサス方式によって決定してきたが、アメリカの全面修正案は会議参加諸国に受け入れられず、結局コンセンサス方式を断念して票決によって採択せざるを得なかった。それでも表決は賛成130、反対4、棄権17という圧倒的賛成多数で決せられたが、アメリカに同調する国の多くは棄権票を投じた。コンセンサス方式の断念による採択は少数派諸国の利益にまで十分な配慮を尽くせなかったことを示しているともいえる。こうして1982年4月30日に同会議で採択された国連海洋法条約では第6部に大陸棚に関する諸規定がおかれ、大陸棚の範囲について以下のように規定された。 領土の自然の延長をたどって大陸棚縁辺部まで。 大陸棚縁辺部が基線から200海里までのびていない場合には基線から200海里まで。 大陸棚縁辺部が基線から200海里以上にのびている場合には、基線から350海里までか、または2500メートルの等深線から100海里の距離をこえてはならない。 国連海洋法条約では上記のように定義される大陸棚の範囲をこえる海底部分が深海底とされた。また同条約第11部には深海底に関する諸規定がおかれ、深海底とその資源を「人類の共同遺産」とする考え方が引き継がれた。しかし私企業の利益確保を主張し国際海底機構の直接管理方式に異を唱えたアメリカ合衆国、イギリス、西ドイツが国連海洋法条約への不参加を表明するなど、条約に規定される国際機構の設立に必要な技術力・経済力を有する先進各国が離脱した。
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