第3次原監督時代
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「読売ジャイアンツ」の記事における「第3次原監督時代」の解説
高橋監督の後任として、前任者の原の4年ぶりの監督復帰が発表された。2018年10月22日、全コーチ名が球団から発表された。1999年以来のヘッドコーチ職を置かないという体制である事も発表された。翌23日には両者が並んだ就任会見も行われた。 ドラフト会議では一位指名で髙橋優貴との交渉権を獲得した。 新体制発足後、同年オフの11月8日の2018日米野球「エキシビジョンゲーム 巨人×MLBオールスターチーム」が初の公式戦となる。オフも大型補強を敢行。主な補強選手として、リーグ3連覇を達成した広島からFA宣言し2年連続でセ・リーグのMVPを受賞した丸佳浩、西武からFA宣言した炭谷銀仁朗、オリックスを自由契約となった中島宏之、パドレスからクリスチャン・ビヤヌエバ、マリナーズからライアン・クック、岩隈久志を獲得した。その一方で、炭谷の人的補償として内海が西武に移籍、丸の人的補償として長野が広島に移籍する事が発表され、生え抜きのベテランが相次いで退団した。 2019年 序盤は吉川尚や丸、坂本など打線が好調で首位に立った。5月、上原浩治が現役を引退した。同月には菅野や岡本の不調によりやや調子を落とし、同時期に復調してきた広島に抜かれ首位から陥落、阪神にも抜かれ、交流戦を3位で迎える。交流戦に入ると6月18日のオリックス戦に勝利して首位に返り咲いた。ソフトバンク以外に2勝1敗で勝ち越し、5年ぶりに交流戦を勝ち越すも、最終戦にソフトバンクに敗れ、5年ぶりの交流戦優勝とはならず、交流戦を3位で終えた(セリーグでは1位)。この間に打線では若林晃弘が、投手陣では序盤から安定していた中川皓太が抑えに回るなど、課題となっていた若手の台頭が見られるようになった。交流戦明け以降はオールスターまで10勝1敗と大きく勝ち越し、前半戦は2位とのゲーム差を9.5と大きく引き伸ばして折り返す。6月には日本ハムの鍵谷陽平、藤岡貴裕と吉川光夫、宇佐見真吾の2体2の交換トレードと新外国人としてルビー・デラロサを、7月には楽天の古川侑利を和田恋との交換トレードで獲得した。その後7月下旬から8月上旬にかけ大型連敗があり、2位DeNAに最大10.5あったゲーム差を0.5まで迫られたが、6月18日以降は首位から陥落することなく9月21日、対DeNA戦(第24回戦)にて3対2で勝利し、5年ぶり37回目のリーグ優勝を果たした。 クライマックスシリーズでは3位の阪神と対戦。アドバンテージを含む4勝1敗で6年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。日本シリーズでは、ソフトバンクと前身のダイエー時代以来の19年ぶりに対戦するも投手陣が崩れ、野手陣も2番・坂本が5三振、3番・丸が6三振で何れも打率は.077。4番・岡本も.188で3三振と振るわず、1勝も出来ずに1990年の西武戦以来となるストレート4連敗で敗退した。 リーグ優勝直後に阿部が引退を表明(後に二軍監督に就任)し、マシソンも引退を表明した。オフには山口が球団初のポスティングシステムを利用しトロント・ブルージェイズに移籍した。 この年は令和最初のペナントレースだったので、「令和最初のセ・リーグ優勝球団」となった。 2020年 シーズン前、ワシントン・ナショナルズで世界一に貢献した現役大リーガーのジェラルド・パーラ、シカゴ・ホワイトソックスのチアゴ・ビエイラ、SKワイバーンズのエンジェル・サンチェスを獲得した。 新型コロナウイルスの影響により約3か月遅れとなった6月19日の開幕戦では、吉川尚の逆転本塁打で3-2で逆転勝ちし、プロ野球史上初の球団通算6000勝を達成したのに続き、翌日は6回まで3-1と接戦の状況から7回に打者一巡の猛攻で一挙8点を奪い連勝、3戦目も先制を許しながら4回に5点を奪って逆転し7-1で勝利。過去8度あった阪神との開幕カード3連戦で球団史上初のスウィープに成功(同一カード3連勝を達成)した。6月と7月にいずれも楽天とのトレードでゼラス・ウィーラーと高梨雄平を、9月にロッテとのトレードで香月一也を獲得した。開幕から快調に走り、7月に一度ヤクルトに首位を奪われるもすぐに奪い返し、その後は一度も首位を譲る事はなく、9月11日のヤクルト戦を2-1で勝利した事で原は川上を抜いて球団最多となる監督通算1067勝を、9月15日の阪神戦では菅野がヴィクトル・スタルヒン以来82年ぶりの球団開幕投手での開幕11連勝を達成。9.5ゲーム差で2位につけていた阪神の自力優勝を消滅させ、9月16日に残り46試合で達成した2013年を抜く、原政権最速となる残り48試合で優勝へのマジックナンバー38が両リーグ最速で点灯。菅野が9月29日の広島戦で開幕投手の12連勝を達成し、1938年春にスタルヒンが達成した球団記録を塗り替えたのに続き、10月6日のDeNA戦では2004年に岩隈(近鉄)が達成した開幕投手の連勝記録を抜き開幕投手の13連勝を達成。その後マジックは一度も消滅させる事はなく、亀井、中川、大竹、増田大輝が9月の終盤から10月にかけて揃って離脱したのが理由で終盤の戦いに苦戦を強いられたが、10月30日の対ヤクルト戦終了前にマジック対象チームである2位阪神が引き分け、3位中日が敗戦した為、2年連続38回目のリーグ優勝が確定した。11月8日に坂本がヤクルトとの東京ドーム最終戦で第1打席に2塁打を放ち、川上、長嶋、王、柴田、昨年引退した阿部以来球団生え抜きで史上6人目、31歳11か月と榎本喜八に次いでプロ野球史上2番目の若さで、球団と右打者史上最年少での2000本安打を達成した。タイトルでは菅野が最多勝と最高勝率、岡本が本塁打王と打点王を獲得。球団では2010年のラミレス以来10年ぶり、日本人選手では2002年の松井以来18年ぶり、さらに日本人右打者に限ると1963年の長嶋以来57年ぶりの獲得である。新型コロナウイルスの影響により約3か月遅れの開幕戦となった関係で、クライマックスシリーズは開催されず、自動的に日本シリーズへ進出。開催時期に本拠地である東京ドームが都市対抗野球大会で使用される為、主催試合は京セラドーム大阪で2年連続でソフトバンクとの実施となった。しかし、10月に月間22勝のプロ野球新記録を達成したソフトバンクとは対照的に、10月以降は13勝18敗4分けと10月10日には最大で30あった勝ち越しが終わってみれば22まで減ってしまい、9月の終了時点では優勝へのマジックナンバーを22、10月14日の終了時点では9としていたのが翌日から優勝を決めた10月30日まで2勝しか挙げられず、11月は連勝が一度もなかったのに代表される様な失速ぶりがそのまま日本シリーズに入ってからも続いてしまい、いずれの試合も3回までに失点して投手陣が崩れ、打線も4点しか奪えずに日本シリーズ史上初の2年連続ストレート4連敗となり、最低打率、最少得点、最小安打の日本シリーズワースト記録更新、2013年楽天戦からの同一監督(原監督)による9連敗の球団ワースト記録更新(連敗数は球団ワーストタイ)という屈辱的な数々の不名誉な記録を更新し、敗退した。また、日本一を8年以上逸は球団ワーストとなり、日本シリーズを通して1イニングも0-0以外の同点に持っていく事すら出来ずにストレート4連敗で敗退したのも史上初である。 2021年 4月16日のDeNA戦に坂本がショートとして1778試合目の出場を果たし、この日出場がなかったロッテの鳥谷が持つ遊撃手通算最多出場記録を更新、6月1日の西武戦では、岡本が球団史上7人目となる先発4番としての通算100号ホームランを達成した。24歳10カ月とそれまでの長嶋が持っていた27歳1カ月を大きく上回る、球団史上最年少で達成した。だが、その一方でDeNAからFAで獲得した梶谷隆幸も、度重なる故障で離脱した他、同じくDeNAからFAで獲得した井納翔一も3月31日の中日戦で1回0/3で5安打4失点とピリッとせず、以降中継ぎで登板するも5試合で防御率14.40と全く戦力にならず、新助っ人で獲得したエリック・テームズはデビュー戦となった4月27日のヤクルト戦で右足のアキレス腱を断裂する重傷を負い8月23日に、ジャスティン・スモークも新型コロナウィルスで家族が来日出来ないストレスを抱えて6月17日に何れも自由契約になる等新戦力が揃って離脱し、シーズン途中に2年ぶりに復帰した山口もわずか2勝に終わり、暴力事件の謹慎中に日本ハムからトレードで獲得した中田翔は本人の不振に加え比較的好調を維持していた中島裕之をベンチに下げざるを得なくなる等悪影響を及ぼし、菅野や丸が不調及びコンディション不良で二軍落ちする等、悪いチーム状態が響き、勢いに乗れず交流戦明けには首位の阪神と8ゲーム差つけられるも一時は持ち直し、8月29日の中日戦に勝利して50勝37敗12引き分けで勝率.5747となり、当時阪神が55勝41敗3引き分けで勝率.572と勝率で上回ったため、一時は「-0.5」ゲームで4月1日以来の首位に浮上した。しかし、9月3日からの阪神との甲子園3連戦で1勝も出来なかった試合以降は急降下し、勝負所の9月の25試合と10月の18試合を戦い9月にリーグワーストタイの102失点、10月にリーグ5位の68失点と嵩んだばかりか、9月はリーグ5位の.232、10月はリーグワーストの.220と打てず、ヒットを打っても断トツのリーグワーストである48犠打と繋げられなくなってしまい、球団の育成選手で史上初の規定打席に到達し球団史上2位タイの27試合連続で安打を放った松原が規定打席到達者の中ではワーストの得点圏打率.179、125試合に出場した大城が.233に象徴される様にチームの得点圏打率がリーグ5位の.236と得点圏であと一本も出なくなってしまい、10勝25敗8分けと急失速した。また、先発投手を菅野、メルセデス、山口、高橋、戸郷の5人体制にした9月・10月で先発投手の成績は6勝20敗と勝利数と敗戦数どちらも断トツのリーグワーストで、球団史上初めて9月・10月で3度の5連敗以上を喫した上、9月2日には最大で15あった勝ち越しが僅か35試合というセ・リーグどころか、戦後最も早いペースでゼロになってしまい、10月12日には今シーズンワーストの7連敗となり、リーグ3連覇が消えたと同時にこの試合に敗れた事で対阪神戦も14年ぶりに負け越しとなった。結局、シーズンは61勝62敗20分けと3年ぶりのシーズン負け越しが決まった。導入された2007年以降では、史上最少の勝ち数でクライマックスシリーズ進出を決め、同年は延長戦なしの9回打ち切りルールだった為、1978年を超える球団史上最多のシーズン20分けとなった。100試合以上戦ったシーズンにおいて61勝で3位以内に入れたのは、61勝60敗9分だった1985年以来36年ぶりだが、62敗と負け越したので、61勝以下で且つ負け越したにも関わらず、3位以内に入れたのは球団史上初である。なお、西武はパ・リーグで所沢移転初年度の1979年以来42年ぶりの最下位を経験したため、両リーグを通じて「今現在21世紀に一度も最下位を経験していない唯一の球団」となった。2年ぶりに開幕したクライマックスシリーズでは、2位の阪神に2戦とも4点を奪ってファイナルステージ進出を決めた。しかし、セ・リーグ優勝を果たしたヤクルトとのファイナルステージでは、1976年と77年の王以来となる2年連続ホームランと打点の2冠王に輝いた岡本の左脇腹痛による不在の影響等で3試合で2点という出場したファイナルステージでは史上最少得点の致命的な得点力不足が祟り、結局3敗1分けで敗退した。 2022年 開幕戦で、中日のエース・大野雄大から4点を奪い逆転勝ち。球団史上最多となる8度目の開幕投手を務めた菅野が別所毅彦、斎藤雅樹を抜いて球団新記録の開幕戦5勝目を挙げたのに続き、新外国人のグレゴリー・ポランコがいきなり3安打の猛打賞を記録、球団の新外国人選手が開幕戦で3安打を放ったのは1980年のロイ・ホワイト以来42年ぶり2人目でその3本目が決勝打となった為、開幕戦で猛打賞と勝利打点を放ったのは球団の新人、新外国人史上初である。また球団史上初の下の名前のみを登録名にした日本人選手となったドラフト1位ルーキーの大勢が開幕戦でセーブを挙げ、球団とセ・リーグ新人史上初の開幕戦セーブを達成したのに続き、翌日もセーブを挙げた為、新人が開幕から2試合連続でセーブを達成したのはプロ野球史上初。3戦目こそ落とすもののヤクルトと阪神という前年の上位2チームに何れもスウィープに成功して6連勝を飾り9試合終了時点で8勝1敗は川上が指揮を執った1963年以来59年ぶり。その間に2019年のドラフト1位だった堀田賢慎が3月31日のヤクルト戦で、2020年の育成ドラフト7位だった戸田懐生が4月2日の阪神戦で、2021年ドラフト3位でルーキーの赤星優志がその翌日(4月3日)に何れもプロ初勝利を達成し開幕から9試合でプロ初勝利投手が3人生まれたのは球団史上初である。大勢は4月6日の広島戦で7セーブ目を挙げ、7試合連続セーブは球団の新人記録であると共に1978年の角三男と並んで球団の新人タイ記録に並び、4月13日に球団史上初めて沖縄での主催ゲームとなった沖縄セルラースタジアム那覇でのDeNA戦で8セーブ目を挙げ球団新人史上最多のセーブ記録を44年ぶりに更新した。また4月19日の広島戦では公式戦21試合目で10セーブ目を挙げ2013年の西村健太朗(公式戦23試合目で10セーブ)を抜いて球団史上最速で2桁セーブを達成したのに加え、6月4日のロッテ戦も2-1の状況で9回に登板して早くも60試合目で20セーブ目を挙げ、1990年に入団した与田剛の68試合を抜いて新人史上最速となった。その4月19日には坂本が第2打席で先制のホームランを放ったのに続き第3打席でレフト前ヒットで出塁し、969本だった阿部作戦兼ディフェンスチーフコーチを抜いて東京ドームの通算安打数で最多となる970本目のヒットを放ち、岡本は5月29日の日本ハム戦で通算150号を日本人選手としては最速となる634試合目で達成。球団全体でもウォーレン・クロマティの612試合に次ぐ早さだった。
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