第3次出兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/20 06:20 UTC 版)
「第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争」の記事における「第3次出兵」の解説
プロイセン軍が撤退した後も、シュレースヴィヒの軍は戦備を保持していたため、1850年7月にデンマーク軍と交戦し、イドステッドの戦いで撃破され、シュレースヴィヒは再びデンマークの勢力下に置かれた。ここにも諸国の干渉があり、イギリス・フランス・ロシアの調停案によるデンマークの領土保全にオーストリアは賛成、プロイセンは反対した。当時のドイツ統一問題ではオーストリア派が優勢であり、オルミュッツ協定などと同じように今回もプロイセンは妥協を強いられた。 終戦交渉は続き、1852年5月8日にロンドンで最終的にロンドン議定書として妥協が成立した。戦争終結は、デンマーク王フレデリク7世を英雄に仕立て上げ、スウェーデン王オスカル1世に名声を与えたが、事実は勝者無き休戦であった。
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