第3次作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:14 UTC 版)
第2船団:せれべす丸・泰山丸・三笠丸・西豊丸・天照丸 護衛部隊:掃海艇第30号・駆潜艇46号 警戒部隊:島風・浜波・初春・竹 糧食・弾薬など6,000トン、兵站部隊および第26師団(泉兵団)の一部を輸送する。計画では第4次輸送部隊がマニラ帰港後に出港する予定だったが、フィリピン周辺の天気予報は悪天候が続き「連合軍側は航空機の攻撃が出来ない」と予想された。南西方面艦隊司令部は「八日菲島中部東方海面ニ出現セル低気圧ノ影響及目下敵機動部隊菲島ヨリ離隔セル算アルコト並ニ第一遊撃部隊出動ノ好機ヲ利用スルタメ」と報告している。大本営海軍部も「通信情報ニ依レバ五、六日菲島ニ来襲セシ敵機動部隊ハ『パラオ』東方海面ニテ補給中ナルモノノ如ク」と判断した。 以上の判断により南西方面艦隊司令部は、悪天候が続くうちに輸送を終了させようと、第三次輸送部隊の11月9日出撃を決定した。低速船5隻の内訳は、せれべす丸(5,863トン)・泰山丸(3,587トン)・三笠丸(3,143トン)・西豊丸(4,639トン)・天照丸(4,982トン)である。午前3時に出港後まもなく、せれべす丸がポンドク半島(ルソン島南部)で座礁し、駆潜艇46号が現場に残った。しかし予報は外れ、天候は回復しつつあった。10日、本隊は途中で第四次輸送部隊とすれ違い(上述)、警戒部隊の艦を一部交換する形となった。初春と竹は第四次輸送部隊に編入されマニラに引き返し、駆逐艦3隻(長波・朝霜・若月)が第四次輸送部隊から第三次輸送部隊に編入された。その結果、オルモック突入時の船団は以下の通りとなった。 第2船団:泰山丸・三笠丸・西豊丸・天昭丸 護衛部隊:掃海艇第30号 警戒部隊:島風・浜波・長波・朝霜・若月 11月11日日付変更後、アメリカ軍魚雷艇や空襲を受けたが被害はなかった。同日朝、予定どおりオルモック湾口までたどり着いた。12時0分にオルモック到着予定だったが、オルモック湾手前で8時30分から11時40分までに艦上機延べ347機の攻撃を受けた。これは「日本軍戦艦部隊がレイテに向け進撃中」との情報により、燃料補給を中断してひきかえしてきた第38任務部隊の艦載機であった。この戦艦部隊はモロタイ基地機を牽制するために出動中の第一遊撃部隊だったが、アメリカ軍機は戦艦部隊を発見できず、オルモックに向け航行中の輸送船団(第三次輸送部隊)を発見し、攻撃したのである。こうして見ると、第一遊撃部隊の牽制出動が却って仇となり、第三次輸送部隊の全滅を招いたことになるが、当時、中央でも現地部隊でもこうした実情を知るはずもなかった。 駆逐艦は煙幕を張ったが、輸送船は全船沈没した。続いて護衛・警戒部隊も攻撃された。朝霜を除く駆逐艦4隻(島風・若月・長波・浜波)と掃海艇第30号など、全ての艦が沈没した。島風沈没により、座乗していた第二水雷戦隊司令官早川幹夫少将も戦死した。直衛の陸軍航空隊約20機は、飛行第54戦隊長黒川直輔少佐をふくめ8機を喪失した。
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