フィリピン海戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 16:35 UTC 版)
「エンタープライズ (CV-6)」の記事における「フィリピン海戦線」の解説
真珠湾へと帰港したエンタープライズは修理を受けた。8月4日、新設されたばかりの第20航空群が着任した。この時、SBDにかわり新型の急降下爆撃機のSB2Cが配備された。8月16日に主力部隊のフィリピン攻撃支援と、パラオ占領を目的に真珠湾を出港。8月23日にエニウェトク環礁に入港した。28日に出港した時には、エンタープライズはフランクリンやサン・ジャシントらと共にTG-38.4を形成。8月31日に父島、母島を攻撃した。9月1日及び9月2日にはそれにくわえて兄島にも攻撃を加えた。その後、9月4日にサイパンに入港し翌日には出港した。9月6日、7日にヤップ島を攻撃。9月10日から14日まで上陸前の攻撃をパラオへ加え、15日から始まるペリリューへの上陸支援を行った。15日がペリリュー島等へのD-Dayであり、周辺島嶼を攻撃しての支援を終え、9月21日にゼーアドラー湾に入港した。24日にフィリピン侵攻のためゼーアドラーを出港。 10月7日、エンタープライズはパラオ諸島攻略を終えた第38任務部隊の空母フランクリン、軽空母ベロー・ウッド、サン・ジャシントらと第4群を編成し、10月10日に沖縄を、12日、13日に台湾を、15日からフィリピンを空襲した。これらの連続的空襲で日本陸海軍の航空機を壊滅させ、港湾施設とそこに停泊する艦船に打撃を与えた。また、反撃してきた日本陸海軍の基地航空隊を返り討ちにした(台湾沖航空戦)。 10月20日にアメリカ軍はレイテ島に上陸し、日本海軍艦隊の突入から上陸部隊を守るためにアメリカ艦隊は日本軍と激しく戦った。10月15日、17日、18日にルソン島マニラ周辺の各飛行場を、A-Dayの20日にはレイテ島海岸を攻撃した。エンタープライズの所属する第4群の索敵隊(エンタープライズとフランクリンの艦載機からなった。エンタープライズ隊はF6F16機、SB2C12機)は、24日にスールー海で西村艦隊を発見、エンタープライズ隊は戦艦扶桑、山城及び重巡最上に損害を与えた。F6F1機喪失。同日にシブヤン海に攻撃隊(F6F12機、SB2C9機、TBF8機)を送って戦艦武蔵に損害を与え、撃沈に貢献した(レイテ沖海戦)。また翌日にはエンガノ岬沖で小沢中将指揮の空母部隊を攻撃し(第1次、F6F16機、TBF7機、SB2C13機。第2次、F6F6機、TBF5機、SB2C10機)、エンタープライズの艦載機は瑞鳳を共同で撃沈した。次いで1000ポンド爆弾で爆装したF6F16機でもって、薄暮の中、残存艦艇への攻撃を行ったが、投下照準機も急降下制動板(ダイブブレーキ)も搭載せず、投下を補助する機銃手もいない戦闘機では命中弾を得るのは難しく、戦艦日向、駆逐艦霜月に至近弾を与え、霜月を中破させたに留まった。この時、急降下するF6Fの中には時速800kmを超えていたものもあったという。エンタープライズ側ではF6F1機が味方巡洋艦隊近くで不時着した。西村、栗田、小沢の各艦隊を攻撃したことで、エンタープライズはアメリカ海軍において唯一この海戦で日本の3艦隊に攻撃を加えた艦になった。第38任務部隊はサマール島沖とレイテ島沖で10月末まで警戒、陸軍支援及び、サマール沖海戦の生存者の捜索に当たった。この間、10月36日にエンタープライズらTG38.4は初めて神風攻撃を受け、フランクリン、ベローウッドが突入を受けた。エンタープライズでも、アイランド後方5m、甲板上3mを炎上した神風機が通過していくなどの危機に遭った。後、補給のためウルシー泊地に帰還した。エンタープライズは11月、フィリピンのマニラ周辺とヤップを空襲した。11月11日には日本軍の多号作戦の第3次作戦中の輸送船団を爆撃、共同で駆逐艦3、輸送船1を撃沈した。エンタープライズ攻撃隊の報告ではこの駆逐艦3隻について「1隻は激しく炎上して沈没、1隻は転覆して沈没、1隻は艦首を喪失して停止」とあるためそれぞれ、若月、長波、浜波の3隻の駆逐艦を撃沈したと思われる。11月13日から11月16日までマニラを攻撃。11月22日にウルシーに入港し、12月2日に真珠湾に帰港した。
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