フィリピン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:37 UTC 版)
折からの日独伊三国同盟締結の影響などもあり「桐工作」は失敗。第14軍(本間雅晴軍司令官)隷下でマニラ占領後の警備集団として編成された第65旅団隷下の福山編成歩兵第141連隊連隊長として今井は赴任。太平洋戦争開始とともに、フィリピンに出征。第141連隊は貧弱な装備ながらも、バターン半島で待ち構えていた米比軍と戦い、かなりの損害を出したが、サマット山の支山で戦略要地のリマイ山を占領して、本間雅晴軍司令官からバターン攻略戦で第65旅団唯一の賞詞を受ける。 この間に参謀辻政信が発したといわれる千余名の米・比人捕虜の処刑命令に抗して、今井は捕虜を武装解除させたのち、逃している。この後、今井はマニラの防衛司令官として数ヶ月、中部ルソン島の戡定(かんてい)作戦 に従事した。
※この「フィリピン時代」の解説は、「今井武夫」の解説の一部です。
「フィリピン時代」を含む「今井武夫」の記事については、「今井武夫」の概要を参照ください。
- フィリピン時代のページへのリンク