サンディエゴ・パドレス
(パドレス から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 22:20 UTC 版)
サンディエゴ・パドレス(英語: San Diego Padres、略称: SD、パ軍)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)ナショナルリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はカリフォルニア州サンディエゴにあるペトコ・パーク。
注釈
- ^ 同年2月28日、フィラデルフィア・フィリーズとブライス・ハーパーに13年3.3億ドルの契約で抜かれた。
出典
- ^ “球団史上最高額 パドレスがマイヤーズと契約延長「優勝を狙うチーム核に」”. スポーツニッポン (2017年1月18日). 2018年4月7日閲覧。
- ^ “パドレス、球団史上最大の8年契約でE・ホズマーを獲得”. en:Sporting News (2018年2月19日). 2018年4月7日閲覧。
- ^ “マチャドがパドレスと合意FA最高10年330億円”. nikkansports.com. 2019年3月1日閲覧。
- ^ “パドレスとロッキーズ、4連戦で驚異の92得点 - MLB : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2019年6月18日閲覧。
- ^ “史上最多の4試合計92得点 計131安打が乱れ飛ぶ歴史的大乱打戦シリーズが…”. Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―. 2019年6月18日閲覧。
- ^ “ロッキーズ対パドレス、4連戦で両チーム合計92得点のMLB記録 ブラックモンは4戦15安打”. ベースボールチャンネル(BaseBall Channel). 2019年6月18日閲覧。
- ^ “パドレスの大補強。3日間に6件のトレードを成立させ、10人を獲得。捕手は2人を入れ替え(宇根夏樹) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2020年9月21日閲覧。
- ^ “パドレス勝利、14年ぶりにプレーオフ進出 - MLB : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年9月21日閲覧。
- ^ “14-yr. deal! Tatis in SD for long haul” (英語). MLB.com. 2021年2月23日閲覧。
- ^ “Largest contract extensions in MLB history” (英語). MLB.com. 2021年2月23日閲覧。
- ^ “Former Pirates Pitcher Joe Musgrove Throws No-Hitter For Padres” (英語) (2021年4月9日). 2021年4月10日閲覧。
- ^ AJ Cassavell (2021年7月16日). “Cronenworth gets cycle as SD scores 24” (英語). MLB.com. 2021年7月17日閲覧。
- ^ “160 Players Become XX(B) Free Agents” (英語). mlbplayers.com (2021年11月3日). 2021年11月5日閲覧。
- ^ “Padres Acquire LHP Ray Kerr & OF Corey Rosier from Mariners” (英語). MLB.com Press Release (2021年11月27日). 2021年11月28日閲覧。
- 1 サンディエゴ・パドレスとは
- 2 サンディエゴ・パドレスの概要
- 3 選手名鑑
- 4 パドレス野球殿堂
- 5 関連項目
パドレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 08:11 UTC 版)
「ブライアン・ジャイルズ」の記事における「パドレス」の解説
2004年は広い球場に移ったことで本塁打は減ったが期待通りの活躍をした。2005年は158試合に出場し、両リーグ最多となる119四球、ナ・リーグ3位となる出塁率.423をマーク。3番で67試合、4番で77試合に先発出場し、7年ぶりとなるチームのナ・リーグ西地区優勝に貢献。MVP投票では9位に入った。同年オフにはFAとなるが12月5日にパドレスと再契約した。ヤンキースのスタインブレナーオーナーのウィッシュ・リスト(欲しい選手のリスト)に長年入っていた彼にキャッシュマンGMがコンタクトを取ったが、彼は地元でのプレーを選んだ。 翌2006年も西地区優勝に貢献。2007年はブレーブスでリードオフマンを勤めた弟のマーカスが加入したこともあり、2番打者として開幕からプレー。しかし古傷の右ひざを痛めてしまい5月19日以降は休場し、5月29日には右膝骨挫傷のため故障者リスト入りする。前半戦は1本塁打と精彩を欠いたが、6月29日に復帰して復調、9月には打率を落としてしまったが後半戦は12本塁打と持ち直し、チームのポストシーズン進出争いに貢献した。マーカスの不振により復帰後からリードオフマンとなり、出塁率.368をマーク(シーズン通算の出塁率は.361)した。10月3日に内視鏡による右膝軟骨再生手術を受けたが2008年の開幕には間に合った。 契約最終年の2008年、3年ぶりに3割を上回る打率を記録し、自己最多の40二塁打を記録。シーズン終了後の11月7日に球団は900万ドルのオプションを行使することを発表し、2009年もパドレスでプレイすることが決まった。しかし、極度の打撃不振と右膝の関節炎で故障者リスト入りし、7月1日以降残りのシーズンを棒に振った。 2010年2月7日、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだが、3月11日に引退を表明した。
※この「パドレス」の解説は、「ブライアン・ジャイルズ」の解説の一部です。
「パドレス」を含む「ブライアン・ジャイルズ」の記事については、「ブライアン・ジャイルズ」の概要を参照ください。
- パドレスのページへのリンク