9月・10月
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「2012年の読売ジャイアンツ」の記事における「9月・10月」の解説
マジック1で迎えた9月21日の東京ドームでの対東京ヤクルト21回戦、2回裏に阿部慎之助が先制のソロ本塁打、3回裏にも阿部の適時打、村田修一の犠飛で加点し、一時3点のリードを奪った。4-1で迎えた5回表、先発内海哲也が宮出隆自に3ラン本塁打を打たれ同点とされるが、6回裏一死満塁から長野久義の2点適時打にて再び勝ち越す。その後は7回を福田聡志、8回を山口鉄也が抑え、9回は西村健太朗が登板。二死の後、打者田中浩康の空振りの際に一塁走者雄平がカウントを間違え飛び出してしまい、タッチアウトとなり試合終了。3年ぶり34回目の優勝を決めた。
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9月・10月
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「2013年の阪神タイガース」の記事における「9月・10月」の解説
9月に入ると投打が噛み合わない試合が多くなり、9月7日から12日まで引き分けを挟んで4連敗、9月14日から17日まで3連敗、9月25日から29日まで4連敗、10月8日からのシーズン最後の3試合を3連敗と連敗を繰り返し、借金8と大きく負け越した。 2013年セントラル・リーグ最終成績順位球団勝敗分勝率差優勝 読売ジャイアンツ 84 53 7 .613 --- 2位 阪神タイガース 73 67 4 .521 12.5 3位 広島東洋カープ 69 72 3 .489 17.0 4位 中日ドラゴンズ 64 77 3 .454 22.0 5位 横浜DeNAベイスターズ 64 79 1 .448 23.0 6位 東京ヤクルトスワローズ 57 83 4 .407 28.5 日本生命セ・パ交流戦2013 最終成績順位球団勝敗分勝率差優勝 福岡ソフトバンクホークス 15 8 1 .652 --- 2位 東北楽天ゴールデンイーグルス 15 9 0 .625 0.5 3位 読売ジャイアンツ 13 10 1 .565 2.0 4位 北海道日本ハムファイターズ 13 10 1 .565 2.0 5位 千葉ロッテマリーンズ 13 10 1 .565 2.0 6位 オリックス・バファローズ 13 10 1 .565 2.0 7位 阪神タイガース 12 11 1 .522 3.0 8位 広島東洋カープ 11 13 0 .458 4.5 9位 埼玉西武ライオンズ 11 13 0 .458 4.5 10位 中日ドラゴンズ 10 13 1 .435 5.0 11位 東京ヤクルトスワローズ 7 16 1 .304 8.0 12位 横浜DeNAベイスターズ 7 17 0 .292 8.5
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9月・10月
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「2013年の読売ジャイアンツ」の記事における「9月・10月」の解説
9月6日から阪神との最後の直接対決3連戦を迎えたが、その3連戦を2勝1敗で乗り切り、セ・リーグ優勝を確実なものにした。7日にクライマックスシリーズへの進出を決定させ、22日の対広島戦(東京ドーム)の試合開始直後に、2位の阪神がヤクルトに6対7で敗れた為、この時点で巨人の2年連続35度目のセ・リーグ優勝が決定した。
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9月 - 10月
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「2002年のテレビ (日本)」の記事における「9月 - 10月」の解説
9月30日あんグラ☆NOW!(中京テレビ) Pooh!(TBS) 爆笑問題のススメ(札幌テレビ) 美少女日記III(テレビ東京) 10月1日おすぎとピーコの金持ちA様×貧乏B様(日本テレビ) サイボーグ魂(TBS) 名門!アサ㊙ジャーナル(TBS) 10月2日所さんの日本ジツワ銀行(日本テレビ) 恋愛マスター(TBS) J3 KANSAI(関西テレビ) 24ピース(TBS) GAME BREAK(テレビ東京) AX MUSIC-TV 00(日本テレビ) B-1(TBS) 無添加(テレビ朝日) 10月3日ブーケをねらえ!(TBS) そんな所で…(テレビ朝日) 秋葉な連中(テレビ東京) ゲンキ王国(関西テレビ) 10月4日木梨ガイド・週末の達人(フジテレビ) U-CDTV(TBS) ぷらちなロンドンブーツHIGH↑(テレビ朝日) ぷりっぷり(東海テレビ) 10月5日なまあらし LIVESTORM(フジテレビ) もしもツアーズ(フジテレビ) もしも体感バラエティ if(関西テレビ) 愛のエプロン3(テレビ朝日) ブラックワイドショー・第三惑星放送協會(日本テレビ) ケイン・コスギのGET IT ON(テレビ東京) 10月6日働くおっさん人形(フジテレビ) 新★得するテレビ ホンジャマカな日曜日(ABC朝日放送) Parky Party(テレビ東京) 優香&ビビアンのムチャ修行!(中京テレビ) ジェネジャン(日本テレビ)タイトル改題。 1、2、駐在さんダァ〜!!(ABC朝日放送) 男達の風景(テレビ東京) 吉本超合金K・ケンコバ大王(テレビ大阪) 10月7日ラブセン!(TBS) トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜(フジテレビ) 東京I指令(テレビ朝日) ジョン万次郎(TBS) 笑林寺!(TBS) ケータイ将軍(日本テレビ) 10月8日 - タモリのグッジョブ!胸張ってこの仕事(毎日放送) 10月9日NEPTUNEPRESENTS 日本列島元気満点! 力あわせてゴーゴゴー!!(フジテレビ) 妖怪ブッサイくん(テレビ大阪) 堂本剛の正直しんどい(テレビ朝日) 志村流(フジテレビ) 10月10日銭形金太郎(テレビ朝日) たけしの斎藤寝具店(フジテレビ) 10月12日体育王国(TBS) 電波少年に毛が生えた 最後の聖戦(日本テレビ) ayu ready?(フジテレビ) 10月13日笑う犬の情熱(フジテレビ) 別れてもチュキな人(日本テレビ) 10月14日危機一髪!SOS(フジテレビ) ジカダンパン!責任者出て来い!(テレビ東京) 10月16日 - ハッピーボーイズアワー爆笑おすピー問題!(フジテレビ) 10月17日週刊!特ダ〜ネ家族!!(日本テレビ) 国民クイズ常識の時間(日本テレビ) 今夜はえみぃ〜GO!!(毎日放送) 10月19日 - オチャわん!!(読売テレビ) 10月20日 - WINNERS(テレビ東京) 10月22日 - 自信回復TV 胸はって行こう!(フジテレビ) 10月23日ハッピーボーイズアワー爆笑おすピー問題!(フジテレビ) 恋のバカヤロー!(TBS) 10月26日 - 深夜戦隊ガリンペロ(フジテレビ)
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9月 - 10月
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「バイオハザードシリーズの年表」の記事における「9月 - 10月」の解説
カルロス・オリヴェイラの所属するU.B.C.S. (Umbrella Biohazard Countermeasure Service) がラクーンシティへ降下し、民間人救出作戦を開始する。 9月28日、ラクーンシティで独自に調査を行っていたジルが街から脱出するため、行動を開始する。 ケビン、シンディ、デビット、マーク、ジョージ、アリッサ、ジム、ヨーコがバイオハザードに巻き込まれる。 9月30日、クレア、レオン、シェリーの3人が街からの脱出に成功する。 アンブレラによって投下された新型B.O.W.ネメシス-T-型が、ジルをはじめ元S.T.A.R.S.隊員たちの追跡を開始する。 U.B.C.S.の生存者がアンブレラの「監視員」であるニコライ・ジノビエフに利用され、次々と死亡する。 ジルがネメシスによってt-ウィルスに感染するもカルロスが病院内で見つけたt-ワクチンを投与し、ゾンビ化を免れる。 元S.T.A.R.S.隊員のブラッド・ヴィッカーズがネメシスに殺害され、ゾンビ化する。 カルロスとジルがたびたびネメシスと対峙するが、いずれも撃退する。 ジルが『パラケルススの魔剣』と呼ばれるレールガンを使い、ネメシスを完全撃破する。 ケビン、シンディ、デビット、マーク、ジョージ、アリッサ、ジム、ヨーコがラクーン大学にてt-ウィルスワクチン「デイライト」の精製に成功。これによってt-ウィルスへの対抗策が確立する。 10月1日、カルロスとジルがバリー・バートンの助けを受けてラクーンシティから脱出する。 ケビン、シンディ、デビット、マーク、ジョージ、アリッサ、ジム、ヨーコが街からの脱出に成功する。 B.O.W.によるバイオテロを危惧した政府高官で後の大統領補佐官のディレック・C・シモンズが証拠隠滅のため、大統領や上院議員らに「滅菌作戦」を議決するよう、働きかける。それに従い、ロン・デイビスら上院議員が「滅菌作戦」を議決する。このことがきっかけでエイダがシモンズを危険視し、彼との一切の関係を断ち切って離れる。 10月2日、大統領の命令によりラクーンシティにミサイルが投下され、消滅する。 ※ 『BIOHAZARD 3 LAST ESCAPE』 『BIOHAZARD RE:3』 『BIOHAZARD OUTBREAK』
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9月~10月
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「2014年香港反政府デモ」の記事における「9月~10月」の解説
2014年9月26日から、香港の高校生と大学生を中心とした、授業のボイコット及び「真の普通選挙」を求めるデモが、香港中文大学内で繰り広げられていた。当初は平和な座り込み、週末からは秩序のある街の占拠が見られた。9月30日0時に至るまで、中環、金鐘、銅鑼湾、旺角など、香港の繁華街や商業エリアは依然占拠され続けている。警察はデモ隊に対し、28日から何度も催涙スプレーや胡椒スプレーを使い、武器を持たない一般市民を「鎮圧」した。警察側は、一日で計87発の催涙弾が使用されたと公表している。市民は武装警察に対し、引き続き平和を強調し、ただ両手を挙げ、無抵抗な姿勢を見せていた。デモ参加者は、かさ・ゴーグル・マスク・ポンチョなどを持参することで、警察が使用する催涙ガス類から身を守っていた。 10月2日深夜、香港の民主派が辞任を求めていた梁振英行政長官は記者会見し、政府ナンバー2の林鄭月娥政務官を窓口に学生団体と近く対話に乗り出す方針を明らかにした。自らの進退については「辞めることはできない」と退陣要求を拒否した。だが一部の学生は「政府の時間稼ぎに利用されるだけだ」と反発し、幹線道路の占拠を一時試みるなど、民主派内の足並みの乱れも目立ち始めた。 10月3日夜、九龍半島で今回のデモに反対する人たちと学生らとの間で激しいもみ合いが起き、多数のけが人(負傷者12名のうち、6名は警官)が出た。香港警察は19人を逮捕したと発表し、このうち8人は黒社会関係者とみられるとしている。 なお、3日夜に尖沙咀の一部の道路を占拠していたデモ隊は解散した。 10月4日午後、香港理工大学学長の唐偉章、香港浸会大学学長の陳新滋、香港科技大学学長の陳繁昌、嶺南大学の鄭国漢そして同大学教育学院校長の張仁良の5人の大学関係者が金鐘の集会現場に学生達を見舞いに訪れ、物資などを視察した。 さらに香港の8大学の学長が学生達に対してすぐに解散するように求めた。香港中文大学学長の沈祖堯は「君たちの犠牲と君たちの愛は香港の心である。我々は全て見て、全てに感動した……。私は父親の気持ちで君たちにお願いする。どうか無駄な犠牲を出さないで欲しい。君たちが引き下がったからといって、それは失敗したことわけではないのだ」と述べた。 10月6日、学生団体は、対話を複数回行うこと、対等な話し合いであること、政府は対話の結果を実行に移すことの3つを条件に挙げて、受け入れられなければ対話に応じない方針を示した。また、学生たちは、政府の求めに一部応じる形で、政府職員が歩いて出勤できるよう、それまで占拠していた政府庁舎へ通じる歩道の一部に設置していた柵を撤去して開放した。これに対して香港政府は6日午後、声明を出し、「道路が塞がれて車が一切通れないので業務が完全には回復していない」として、歩道の一部だけではなく道路からも撤退するよう改めて学生たちに要求した。 10月9日、香港政府は学生団体と10日に予定していた選挙制度改革を巡る対話を見送ると発表した。2017年の香港行政長官選挙で民主派の立候補を事実上排除するとした中国の全国人民代表大会の決定の扱いを巡り事前調整を続けてきたが、折り合えなかった。また、学生らが退陣を求める梁行政長官が外国企業から秘密裏に報酬を受けていた疑惑も発覚した。 10月10日夜、推定で1万5000人を超える人たちがデモ指導者たちの呼びかけに応じ、抗議行動の主要な舞台になっている政府庁舎の向かい側の幹線道路に集まった。デモ隊と香港政府は10日に対話を行う予定だったが、デモ隊が抗議行動を拡大させる構えを示したことに態度を硬化させた政府側は9日、対話を見送ると発表していた。現地のAFP記者によると、10日夜は時間の経過とともにデモ参加者の数が膨れあがった。デモ隊の指導者たちは演説し、参加者は「占拠を続けろ」とシュプレヒコールを上げたり、ヒットしたミュージカル「レ・ミゼラブル」の劇中歌「民衆の歌」を広東語で歌ったりした。香港学生連盟(中国語版)の周永康事務局長は、「多くの人が私たちにあきらめて帰れと言ったが、10年から20年後に歴史を振り返った時、香港の民衆は今、新たな歴史を切り開いていることが分かるだろう」と述べた。学生リーダーの黄之鋒は、デモ支持者らに「政府庁舎前の道路にテントを持ってきて、長期占拠でわれわれの粘り強さを示そう」と呼びかけた。 なお、10日に学民思潮のスポークスマンを務めていた周庭が心労により辞任する事を表明した。 10月15日朝12時頃、中環にマスクを着けた十数人が雪廠街と遮打道のジャンクションにごみ箱と柵を設置するが、武装した警官隊が間もなく来て解放した。警察は占拠者の個人情報を記録して、約1時間騒がせた。 同日朝2時45分、警察は龍和道の占拠は違法だと宣言した。朝3時15分、対暴動装備を装備した警官隊数百人が、圧倒的な人数で抗議者のバリケードに侵入した。現場の抗議者は傘で警官隊と対峙して、その場を離れなかった。警察はバリケードを撤去しながら、抗議者に胡椒スプレーを使った。抗議者は添馬公園に逃げこんだが、100人以上の警官がそれを追い、最終的に抗議者たちは立法会ビルの外へ退却した。この行動に際し、逮捕された抗議者は45人で、男性37人と女性8人、年齢は17から54歳までいた。朝5時45分、龍和道の東西車線は開放された。 15日に警官が抗議者に暴力を使う事件が幾つも発生し、中には記者が殴られた事件もあった。その中で一番注目された事件は、6人の警官により制圧された公民党員の手をプラスチックのストラップで縛り上げ、暗い隅に連れていき、この党員を殴打したり、蹴る、踏むなどの暴行を加えたことである。この党員が殴られた過程はすべて民放テレビ局無線電視により撮影され、ニュース番組で放送された。ただ無線電視は、その後「殴ったり蹴ったりする」としたナレーションをニュースから削除した。インターネットユーザー達は、その行為に不満を持ち、録画していた本来のニュースを、インターネットのYouTubeなどの動画共有サイトにアップロードした。無線電視新聞部の従業員27人は、夕方Facebook上に公開状を発表し、会社の管理層のやり方に不満を表し、報道の内容は記者の立場や感情と関係なく、ただの事実であることを表明した。 梁行政長官は10月16日に記者会見を行い、「来週にも学生団体と対話したい」と述べ、中心部を占拠する民主派との対話に再び意欲を見せた。警察当局によるデモ参加者の暴行問題で市民の批判が高まり、大学学長らの仲介を受けて仕切り直す意向を示した。学生団体側も同日夜、対話受け入れを表明した。学生団体である香港学生連盟の周永康事務局長は16日夜、香港政府が提案した「対話を歓迎する」と述べた。しかしながら、梁長官が強制排除の可能性を排除しなかった点は「政府のやり方は横暴だ」と批判、対話には曲折も予想される。 10月20日、梁行政長官は外国メディアとの会見で、行政長官の選挙制度改革をめぐり、抗議行動を続ける民主派学生らの要求に応じ、住民が立候補者を指名できるようになれば、貧困層や労働者が選挙を左右することになるとの認識を示し、要求に応じることはできないとの立場を繰り返した。梁長官は、住民が立候補者を指名するならば、平均月収1800米ドル(約19万2600円)以下の住民が選挙プロセスを支配する恐れがあると警告した。同長官は「住民が代表者を選ぶようになれば、香港の住民の半分を占める月収1800ドル以下の所得層が決めることになる」と述べた。また、指名のプロセスがどのようなものでも中国政府は選挙の勝者を行政長官に任命するかどうかの権限を握っていると指摘し、「中国政府が勝者を受け入れられないとして、選挙をやり直すよう命じれば、香港基本法上の危機が生じる」と訴えた。 10月21日、香港の学生団体の指導者は、香港政府関係者との初めての対話を行った。事態進展への期待は低かったものの、何千人もの人々が街頭に集まり、対話の様子をテレビで見守った。香港政府は、デモ隊の見解を反映させた公式な報告書を北京(中央政府)に提出する姿勢をみせたものの、行政長官選挙の候補者に制限を設ける計画の撤回を中国指導部に求めない方針を貫いた。学生団体は、香港政府が市民の意見を適切に中国の中央政府に伝えていないことが、香港の民主化の進まない理由だと主張してきた。 10月23日、九龍側の名所、獅子山(ライオンロック)から「我要真普選(真の普通選挙を求める)」と書かれた巨大な垂れ幕が下ろされた。垂れ幕の長さは28メートル。先に梁行政長官が、民主派のデモ隊の要求に応じれば、次期行政長官選挙の結果は香港の低所得層に左右されることになると語ったことに反発し、労働者階級が多く住む九龍地区にある獅子山が垂れ幕を下す場所に選ばれた。また、黄色い傘を持った習近平総書記の写真が置かれた。 10月25日、学生側は21日の対話を受け、1. 中国政府に香港市民の要求を報告する、2. 2017年の次の選挙について様々な意見を聞く議論の場を設ける、という香港政府からの2つの提案をめぐって投票を実施することを決めた。25日の会見によると、投票では、1の報告で「中国側が8月に示した立候補を制限する仕組みの撤回を求めてもらうことに賛成かどうか」、2の議論に「次回2017年選挙から立候補制限をやめる議題も含めることに賛成かどうか」を問うた。占拠場所の一角を「雨傘広場」と名付けていることから、「広場投票」として26、27日の夜、金鐘や旺角など3カ所で投票を実施した。ただ、全市民には呼びかけず、投票資格は占拠支持者に限ることにした。 しかし、10月27日に民主派団体の指導者は市民投票を棚上げすることを決定した。民主派団体は、投票の内容や方式で意見がまとまらず、予定していた市民投票の延期を決めた。香港では1カ月以上にわたるデモで経済活動が混乱し、その影響への懸念が広がっていた。月内に開始予定だった香港、上海両証券取引所による株式注文の相互取り次ぎは、当局からの承認がいつになるか見通しが立っていないことを香港取引所が明らかにした。デモ隊は主要な大通りを封鎖して交通を妨げ、ビジネスを混乱させていた。 香港証取を運営する香港取引所は26日の発表資料で、「株式注文の相互取り次ぎが2014年10月から始まる」ことを市場が織り込む中で、技術的な準備は完了しているがまだ必要な承認が得られていないことを明らかにした。香港浸会大学の政治学の教授、ジャンピエール・キャベスタンは証取接続の遅れについて、抗議行動を解決できない香港に対する中国政府の不満の表れだと指摘。同教授は電話インタビューで「こうした手段を通じて中国は香港に対し、速やかに正常化するよう圧力を強めている」と述べた。 10月29日、全国政治協商会議常務委員会は29日、香港の親中国派政党、自由党首脳の田北俊立法会議員を政協委員から解任すると決定した。民主派による香港中心部の占拠を収拾するため、田は香港の梁行政長官に退陣を検討するよう求めていた。中国として学生らによる梁長官の辞任要求に応じない姿勢を明確にすると同時に、香港の親中派の締め付けを強める狙いがある。 なお、駐英大使の劉曉明は訪英していた財政司長曽俊華と会談し、イギリスに内政干渉させないよう促した。 10月30日、香港の学生運動の指導者は来月北京に行き、中国指導部に民主化を訴えることを検討していると述べた。香港の3大抗議運動団体のひとつ、香港学生連盟の周永康事務局長はインタビューで、APEC首脳会議の主催は習近平総書記にとって「顕著な業績」になると述べた。学連が支持者たちとこの北京訪問計画を協議し、どれほどの賛成が得られるか見極めるつもりだと述べるとともに、学生指導者がAPEC会合の場で北京指導部に近づけるかどうか、その実現可能性もあわせて話し合うと語った。その後、11月7日夕方に学生団体メンバーが香港と接する中国広東省深圳に入ろうとしたところ、「国家の安全に反する活動」に参加したとして、中国当局から入境を拒絶され、学生団体はAPEC開催期間中の北京行きを見送った。
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