様々な意見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 03:00 UTC 版)
メモの発表当時、保守派の評論家を中心にメモの信頼性等に様々な意見や疑問が上がった。 上坂冬子は、「昭和天皇の意思明確にと新聞に書かれていたが、これは早とちり」「大騒ぎするほどの内容のメモではない」という趣旨で、一連の騒動への見解を示した。 櫻井よしこは、「メモの内容には天皇の真意が反映されているかどうか不明」とメモの解釈に懐疑的な意見を述べた。 若狭和朋は、メモが昭和天皇の発言であることについて「ちょっとタチの良くない冗談だ」という認識を示した。その理由として、メモにある昭和63年4月28日にプレスとの記者会見を昭和天皇はされておらず、その日に会見されたのは12日に退職された徳川前侍従長である。それはその記念の記者会見である。加えて、メモにある「高松薨去の時…」などと弟宮のことを昭和天皇が「薨去」と発言されるはずが無い。これは「臣下のものが宮殿下の逝去のことを『薨去』と使う」とし、このメモの内容は昭和天皇の発言ではなく「徳川前侍従長の発言」であるとしている。 岡崎久彦は、「本物であるはずがない」「昭和史の基礎的な知識があれば(富田メモに)信憑性があると考えるはずがない」と主張し、死後に出版された回顧録では、 昭和天皇は「ですます」調の言葉は使わない 昭和63年頃の証言だけで、その前の証言が何十年、一切ないのも不自然 千代の富士が連勝を続けていた昭和63年の七月場所か九月場所の頃、(相撲が大好きな昭和天皇が)「もう相撲はご覧になっていない」と宮内庁の人間に聞いたことから、(容態が相当悪く)あの頃の証言の記録は少し怪しい ことを根拠として挙げている。 産経新聞は「靖国参拝問題」について、仮に合祀が陛下の参拝取りやめの原因であるならば、その後の春秋例大祭に勅使が派遣されて現在に至っていることや、皇族が参拝されていた事実をどう説明するのだろうか、と疑問を呈している。また産経は木戸幸一元内大臣の日記を引いて、昭和20年12月10日頃、収監を控えた木戸に対し昭和天皇が「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」と述べたとの記述があると主張している。
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