鄭国
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鄭 国(てい こく、生没年不明)は、中国・戦国時代末期の水工(水利技術者)[1]。
注釈
- ^ 鶴間によれば、溝渠工事・陵墓工事において動員されるのは刑徒であるため、これらの土木工事が秦の軍事力に与える影響力は少ないとしている[3]。
- ^ 同時に陵墓(始皇帝陵)建設も始まった。即位した新王はまず先王の埋葬を終え、年が明けてから自らの陵墓の建設を始める、というのが、当時は制度となっていた[3]。
- ^ 『史記』始皇本紀に鄭国の間諜事件は記されていない。事件の正確な時期は不明である。
- ^ 『漢書』溝洫志にも同様の記述があるが、さらに鄭国は「私は韓に数年の延命をもたらすだけですが、秦には万世の功をもたらします(臣為韓延數歲之命,而為秦建萬世之功)」と述べたという。
- ^ 外国人追放命令。追放対象については「外国人一般(客)」[4]、とされることもある。李斯はこれに対する反駁の上書を行い、秦王政は撤回した[5]。
- ^ 清代の梁玉縄は『史記志疑』において逐客令のきっかけは嫪毐の乱であろうとしており[5]、鶴間も李斯列伝の記述は別個の事件を結び付けたのだろうとしてこの見方に従っている[6]。
出典
- ^ a b c d e 重近啓樹. “鄭国”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 小学館. 2017年4月17日閲覧。
- ^ 鶴間和幸 2015, p. 42.
- ^ a b c 鶴間和幸 2015, p. 43.
- ^ a b 鶴間和幸 2015, p. 44.
- ^ a b 鶴間和幸 2015, pp. 45–46.
- ^ 鶴間和幸 2015, p. 45.
- ^ 鶴間和幸 2015, p. 46.
- ^ a b c d 鶴間和幸 2015, p. 48.
- ^ a b c “伝統的農業水利施設(中国 涇恵渠(テイコクキョ))”. 農林水産省. 2017年4月17日閲覧。
- ^ 鶴間和幸 2015, p. 47.
鄭国
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