前内大臣から太政大臣への補任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/04 22:56 UTC 版)
「大炊御門信嗣」の記事における「前内大臣から太政大臣への補任」の解説
寛元4年(1246年)に久我通光が前内大臣から太政大臣に補任されたが、この時までに前内大臣から太政大臣に任ぜられた者はいなかったのである。久我通光の昇進を先例として、鎌倉時代に前内大臣から太政大臣に昇進したのは徳大寺実基、西園寺実兼、洞院公守、土御門定実、大炊御門信嗣、三条実重、久我通雄である。この時代、摂関家が五つに分立し摂家の嫡男が若くして大臣に昇進することが多く、加えて西園寺家から嫡男以外の大臣も輩出したため、前内大臣から太政大臣へという昇進ケースが生み出されたと考えられる。そういう中で西園寺実兼が前内大臣から太政大臣に昇進していることには一考を要する。
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