平安後期以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 05:00 UTC 版)
奈良時代に経巻の表装作業(巻物にする作業)は装潢師が担当していたが、平安時代後期の12世紀になり、経師の仕事は経巻や巻子本の製本の作業が多くなり、それが経師の主な仕事に変貌していった。それと同時に経師は職人として独立し、江戸時代初期の17世紀の初めには巻子本だけではなく、冊子本の製本も行うようになり、屏風や襖なども表装したりする表紙の表具師の仕事も混在するようになってきた。 一方で、和本の冊子本の製本には表紙屋という専門職人が分化しており、経師は巻子本や巻物になり、表具師の仕事が加わっている。自宅で仕事をする「居職」で、経師屋というようになった。17世紀の初めには、京都で表具屋の巻物は使い物にならない、経師の表具は良くないという評価は存在していたが、次第に経師屋は、写経師の仕事よりも表具屋や唐紙師の仕事が主体になっていった。 当初は経師屋は特別な刃の小刀を道具として使っていたが、冊子本が多くなると、竹の弾力を利用して帖を圧搾する短い太い柱状の道具や、糊を入れる桶、または鉢や刷毛と金砂子を振りかけるときに使う水嚢(篩)などを使うようになった。また、技法は掛け物と同じであるが、糊は薄いものを使っている。裏打ち、仮張りをして定規をあてて紙切り包丁で裁ち、軸に巻きつけている。 経師の仕事は京都が中心で、経師仲間の長を大経師と言って、禁裏の注文に応じていた。また、暦の印刷・発行の特権を持ってもいた。
※この「平安後期以降」の解説は、「経師」の解説の一部です。
「平安後期以降」を含む「経師」の記事については、「経師」の概要を参照ください。
- 平安後期以降のページへのリンク