成立と展開とは? わかりやすく解説

成立と展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 18:23 UTC 版)

給田」の記事における「成立と展開」の解説

給田給田畠)は、平安時代末期から鎌倉時代初期までに成立した当時はちょう荘園公領制発展過程時期にあたり荘園国衙領公領)の運営体制確立しようとしていた。荘園公領運営には、運営実務に当たる荘官や、京都荘園領主本所)へ年貢などを運送する梶取などの運輸者、本所貢納する手工芸品作る各種職人などの存在不可欠であり、これら荘官・職人の職務代償として与えられたのが給田である。 平安時代後期11世紀 - 12世紀)から、郡司郷司在庁官人中に荒地などを開発して国衙から一定の収取認められ開発領主成長する者が多く現れた。しかし、開発領主らの持つ収取開発所領)は不安定なものであり、常に国衙から剥奪される危険を伴っていた。そこで、開発領主らは開発所領を有力寺社や有力貴族寄進し、田地荘園となった寄進に際して開発領主は新領主から荘官任じられるとともに給田与えられた。このとき、開発領主国衙から認められ開発所領失ったが、それと同等か、より多く田地給田として与えられることが一般的であったまた、開発領主直営地である佃・堀内・門田なども給田として認められた。 荘官荘園領主年貢公事貢納する義務負っていたが、給田については年貢公事がすべて免除され免除分が給田権利者収入となった。この点が、公事のみが免除される免田めんでん)、臨時雑役免除される給名(きゅうみょう)との大きな違いであり、免田給名区別するために本給田(ほんきゅうでん)と呼ばれることもあった。 職人給田多く国衙近隣設定された。元々、国衙機構には多種多様な手工業者所属し国衙運営必要な物資を生産していた。その報酬国衙から給与されていたが、平安後期以降律令制に基づく国衙機構大きく変質し再編成が行なわれると、手工業者への報酬代えて給田設定されていった荘園においても、荘園領主らは必要物資を得るために荘園内に手工業者職人確保し職能に応じて彼らへ給田与えていった。 13世紀前半承久の乱以降新補地頭に対して荘園公領11町当たり1町の給田与え新補率法成立すると、実際には1町にとどまらず2町・3町の給田設定する例が多く見られ新補地頭による荘園公領侵出強く後押しした給田経営は、はじめ自らの下人所従らを駆使して行なわれていたが、時代が下るにつれ、荘園内の名主百姓らへ請作出して行なわれていった考えられている。

※この「成立と展開」の解説は、「給田」の解説の一部です。
「成立と展開」を含む「給田」の記事については、「給田」の概要を参照ください。

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