成立と意義とは? わかりやすく解説

成立と意義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 15:53 UTC 版)

治天の君」の記事における「成立と意義」の解説

「治天」は、古く地神五代のうち天照大神以外の4人が君主号として用いたという記録がある。その後天皇皇族敬称号として5世紀後半までに「治天下大王あめのしたしろしめすおおきみ)」が成立していたが、その後律令整備によって使用されなくなっていた。 平安時代後期院政開始により、「治天」の語が再び登場したそれまでは、藤原北家摂政関白天皇代行者補佐者)として政治実権を持つ摂関政治が行われていた。あくまで律令官制最高位君臨するのは天皇であり、その天皇代行補佐することが、摂関権力源泉となっていた。しかし、白河上皇に始まる院政では、上皇が子へ譲位した後も、直接的な父権に基づき政治実権を握るようになったため、摂関政治はその存立根拠失った。この変遷は、天皇母系にあたる摂関家が、天皇父系にあたる上皇に、権力奪われたものとみることができる。 平安中期から後期頃から、特定の官職一つ家系で担うことが貴族社会の中で徐々に一般化しつつあった。官職に就くことは、その官職付随する収益を得ることも意味しており、官職就いた家系の長(家督者)は、収益一族配分する権限・義務持ったこのような社会的な風潮皇室へも影響し皇室当主となった者が、本来の天皇権限執行するようになったのだろうと考えられている。 この皇室当主が、実質的な皇朝君主であり、治天と呼ばれるようになった複数の上皇が併存することもあったが、治天となりうるのは1人のみであり、治天の地位巡って上皇天皇同士闘争さえ発生した保元の乱)。治天が実質的な君主になると、天皇あたかも東宮皇太子のようだ、とも言われた。実際院政本格化すると皇太子立てることがなくなっている。 治天となりうる資格要件大きく2つある。まず、天皇位を経験していること。次に、現天皇直系尊属であること。この結果、治天になれなければ、自らの子孫へ皇位継承できないこと意味しており、治天の座を獲得することは死活問題であった。ただし、鎌倉時代以降になると、皇位に就かなかった後高倉院が治天となったり、光明天皇直系尊属ではない光厳上皇が治天となったように、前述資格要件が必ずしも満たされない場合出現した。 ただし、「治天の君」という言葉出現するのは後嵯峨院政後の後深草上皇亀山天皇並立状態以降生まれたとされている。

※この「成立と意義」の解説は、「治天の君」の解説の一部です。
「成立と意義」を含む「治天の君」の記事については、「治天の君」の概要を参照ください。

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