成立と挫折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 20:24 UTC 版)
1570年6月10日、デンマーク王子のホルシュタイン公マグヌスがモスクワを訪れ、リヴォニアの王として戴冠した。彼はイヴァン4世を宗主として忠誠を誓い、イヴァン4世は「リヴォニア王国」を自らの世襲財産としたうえで、これを支配する特許状をマグヌスに与えた。マグヌスとイヴァン4世の間に結ばれた条約には、オプリーチニキの一人や、ゼムスキー・ソボルの代表アンドレイ・シチェルカーロフが署名した。この時点でロシアはまだリヴォニアを手中に収めてすらいなかったのだが、早くも将来のリヴォニア征服と王国建設を見越して、その首都をポルツァマー城とすることまで取り決められた。マグヌスは2万人のロシア兵を率いてモスクワを発ち、スウェーデンが支配するレバル(現タリン)の征服に向かった。イヴァン4世はマグヌスの兄であるデンマーク王フレゼリク2世の支援を取り付けようとしたが、失敗した。マグヌスはレバルを包囲したが、1571年3月末に攻略を諦め撤退した。
※この「成立と挫折」の解説は、「リヴォニア王国」の解説の一部です。
「成立と挫折」を含む「リヴォニア王国」の記事については、「リヴォニア王国」の概要を参照ください。
- 成立と挫折のページへのリンク