平安時代から南北朝時代とは? わかりやすく解説

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平安時代から南北朝時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 01:17 UTC 版)

千葉氏」の記事における「平安時代から南北朝時代」の解説

平常長上総国山辺郡大椎現在の千葉市緑区大椎町)に舘を築いて本拠とした。その子である常兼の代に従来上総国土着していた一族下総国への進出始まった思われる。また常兼は上総権介下総権介もしくは両方)に任じられて、本拠地大椎より大椎権介呼ばれた。これは後になって千葉大夫と呼ばれるうになる。 さらにその子常重長男ありながら惣領ではなく、ここに房総平氏千葉氏上総氏2つ流れ分かれることになった。さらに大椎から下総国千葉郡にあった千葉荘移り現在の千葉市中央区亥鼻付近に館を築いたとされる。ただし現在「千葉城」と呼ばれているものは1967年昭和42年)に千葉市郷土館(現:千葉市立郷土博物館)として建造され近世城郭風の現代建築物であり、当時建物とは全く異なる。また下権介となり千葉介名乗った以降千葉氏惣領千葉介名乗ることになる。 上総氏との分裂経緯から、千葉氏上総氏の間には所領を巡る争いがあった。常重の子千葉常胤の頃には周辺土着した武士佐竹氏ら)との間で相馬御厨を巡る争いがあった。常胤は下総権介ありながら下総一国掌握することさえままならない状態であったこうした中で1180年治承4年)に源頼朝平氏に対して挙兵し石橋山の戦い敗れた後に安房国へ渡ると、常胤は頼朝から加勢求められ、これに応じた。常胤は平家との戦い奥州藤原氏との戦いで活躍し、さらに上総氏惣領上総広常頼朝嫌われ粛清されると、千葉氏権力上総国まで及んだ鎌倉時代には下総守護とされた。 ところが、常胤の孫の千葉成胤没後千葉氏幼少当主相次いだに対して早くから兄とともに幕府に出仕していた弟の千葉常秀系統房総平氏惣領的な地位に立つことになる。その子である千葉秀胤鎌倉幕府評定衆任じられ幼少千葉氏当主千葉頼胤後見したため千葉氏一族多くも秀胤に従うこととなった。ところが宝治合戦で、縁戚である三浦氏連座した秀胤は北条氏攻め滅ぼされ、秀胤に従った房総平氏多く処分された。千葉頼胤は罪を問われることなく名ばかりであった千葉氏当主としての主導権回復させたものの、一族多く失った打撃大きかった千葉氏妙見菩薩千葉氏宗家(成胤とその子孫)および一族守護者であることを強調する主張(“妙見説話”)を完成させたのは、頼胤の時代であるとする説がある。 元寇出陣した千葉頼胤戦死し嫡男の宗胤が代わりに九州下った下総留守を守る家臣たちの中に下総守護の職務が行えない宗胤に代わって弟の胤宗を当主擁立して、宗胤には肥前国留まるように望む意見高まった。これに反発する宗胤とそれを支持する家臣はこれに抵抗し長期わたって紛争続けた。胤宗は妻の実家である金沢流北条氏支援受けて本拠地である千葉荘掌握したに対して、兄の宗胤は下総国府隣接する八幡荘掌握して対抗したまた、胤宗は金沢流北条氏崇敬していた律宗真言律宗)を保護したに対して、宗胤は八幡荘拠点としていた日蓮宗中山門流)を保護するなど、信仰面でも対立したとされる。宗胤没後長男の胤貞は、折りしも勃発した南北朝戦いに際して北朝方について南朝方の貞胤(胤宗の子)を攻め、貞胤は北朝方に降伏した。しかし降伏した貞胤は北朝側に寝返って室町幕府より下総守護の地位保障された胤宗の子孫が千葉氏宗家として存続した。このため宗家地位失った胤貞流の千田氏その後衰退し肥前国にあった宗胤の次男胤泰が九州千葉氏興すことになった

※この「平安時代から南北朝時代」の解説は、「千葉氏」の解説の一部です。
「平安時代から南北朝時代」を含む「千葉氏」の記事については、「千葉氏」の概要を参照ください。

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